「やめなさい」
マカを平手で一メートルほどぶっ飛ばしたのはもちろん俺じゃない、いつの間にか帰っていたブレアだ。俺もマカも、玄関が開いた音にさえ気付かなかったようだ。とんだお笑い草である。
ブレアは笑みを消して凍り付いたように目を丸くしていた。じっとマカを睨んでいる。ソファー付近で倒れているマカは起き上がる気配もないが、気絶しているわけでもないらしい。足が動いて、胸の前で抱えられる。ブレアはマカとは違って追い討ちをかけようとはしない。倒れたままの俺の横で、もう一回冷たい声を出す。そういえばここに来て初めてだ。ブレアがマカに対して見下した声音で喋るのも、顔を殴るのも。
「いつでも誰かが止めてくれると思ったら大間違いだよマカ。次はないよ」
言い切って、ぐるんと目が俺を向く。腕を伸ばされた。掴まれということらしい。のろのろ手を出すと、ぐいっと上まで引っ張り上げられた。強引に立たされて、耳元に囁かれる。
「今すぐ部屋に戻って」
頷く。あらゆる意味で、今このリビングにいられる人間など存在しない。それは俺だけじゃなくて、ブレアにも同じだ。囁いてすぐ、躊躇いもなく玄関に舞い戻り、今度はきちんと音を立てて出ていった。俺はぐずぐず歩き出す。リビングの床にうずくまったままのマカが目に入るが、吐き気がするくらい嫌な光景だった。やりかけの夕食準備はもはや仕方がない。どうせ、誰も食事なんてとらない。
部屋に戻って鍵をかけて布団をかぶる。あそこでマカは泣くかもしれない。そんなの聞きたくなかった。駄目なんだ。俺の中にあるよく分からない職人崇拝。例えどんな性格や理由であろうとも、職人がみっともなく人前で(武器の前で!)泣くなんて許せない。やって欲しくない。耳を塞いだり目を閉じたりは簡単だけどそんなことすらやりたくないんだ。何故なら俺は武器で、マカは職人だからだ。他に理由はいるだろうか?
さっきもしつこく手を握ろうとした。そうしたらマカがぶん殴ってきた。俺は殴られっ放しで何にも反抗しなかった。呆気に取られていたのもあるし納得していたのもある。今なら何となく理由が分かる。俺がマカの手を握ろうとしたのもそれをマカが拒否したのも。
要するに怖いのだ。俺は怖いから手を握ろうとする。武器にならなくては戦えないし職人だって痛い目を見る。それは避けたいし嫌なことだ。手を取って武器化するだけで、俺はその恐怖から解放される。けどそんなのは職人だって同じことだ。俺が手を握るから酷い目に遭う。大体は予想できる。手を握ろうとするその行為が自分の未来を確定する。だから振り払う。その未来を避けようとして。
こんなのはお互いに都合のいい解釈を並べただけだ。綺麗に収まる単語を見付けたから乗っただけ。実際に何が原因なのかは分からないし、知りたいとも思えない。あの奇妙な潔癖がいけないのかもしれないし、何の理由もないかもしれない。とにかく、今まで考えようともしていなかったということは、どうでもいいことなんだろう。ならこれ以上無駄な推論はいらない。ぐるぐる頭が回っている。それもこれも、布団なんてかぶっているせいだ。俺は布団を突き飛ばしてベッドから立ち上がる。部屋がやけに涼しく静かに思えた。のろのろ歩き出し、鍵を外してドアを開いた。





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