「ねえ、ねえねえ」 ちょいちょい、と前から手を振られて呼び止められる。誰かと思えば一年の女生徒で、知り合いじゃなかったらぶん殴ってるくらいの図々しさだ。 呼んだ張本人の沙布は、俺が近くまで来たのが満足らしく、にこっと目を開いて笑った。身長は俺より十センチ以上低いが、態度は妙にでかいし歩く歩幅も大きい。ついて来るように告げて、外階段の付け根、裏門近くまで移動する。何だ、今から昼飯の予定なのに。 沙布はよっ、と軽く声を上げて階段に腰かける。俺にも横に座るよう促した。外なのでミンミンと鳴く蝉の声や湿気や熱気がダイレクトに伝わる。ただしちょうど建物の影部分に当たるらしく、すぐに逃げ出したいほどの暑さではない。沙布は足を腕で抱えた。 「ねー、明日泊まりに行っていい?」 うわ答えたくねえ。年頃の女子が学校の先輩(しかも男)に向かって言う台詞じゃねえぞ。俺が嫌な顔を作ったのを見て、沙布はぶうと頬を膨らませる。 「何でよ、あんたひとり暮らしじゃない」 「年上をあんたとか呼ぶ人間を家に入れたくない」 「たかだかひとつしか違わないじゃない、何偉ぶってんのよばっかじゃないの」 「あーもうますます泊めたくないさっさと帰れ」 「大丈夫任せて安心してよ、ちゃんと紫苑も連れてくから」 沙布はふふ、と笑いながら上目でそう言う。何が面白いのか、普段は常に仏頂面のくせに、今日だけはけらけら笑っていた。だがそこでどうして紫苑の名前が出るのかは俺には理解できない。 紫苑は俺のひとつ上で、この学校の三年生だ。温厚な性格だけどあまり人付き合いはよくない。沙布は確か紫苑の幼なじみだと言っていた。学校もずっと同じなのだという。紫苑のことを話す時目がキラキラするから、きっとずっと好きなんだろうけど、残念ながら彼女になる夢はまだ果たされていない、はずだ。理由は簡単で、紫苑の現恋人は俺だからである。 沙布はこのことについては非常におおらかな様子を見せた。そもそも俺と沙布の付き合いは紫苑を仲介して始まったくらいだ。普通は長年慕ってきた相手を取られた恨みや、ついでにホモだということであわや泥沼の争いか、なんてその場で想像した俺の考えは見事に外れ、沙布は黙りこくってその話を受け入れた。まあ、多少は冷たい視線を浴びたけど。 というわけで、俺と紫苑の関係はとりあえず幼なじみ(のみ)公認ということになる。そのことを踏まえて名前を出したはずだが、この女は一体何を考えているんだろう。 沙布ははああ、とどこかうっとりしたような顔になる。指まで組みやがった。 「私、一回でいいから複数人でやってみたかったのよね」 「…………はい?」 おい、今何つったよ。沙布は楽しそうな表情を崩さず、 「だから、一回でいいからやってみたいの。さ、さんぴーってやつ?」 3Pいただきました。 俺は思わず沙布の額に手を当てた。多少熱いが熱はない。肩を揺すって、真面目な声を作る。この女を正気に戻さなくてはいけない。 「沙布、いいかよく聞け」 「何よその顔。娘を嫁入りさせる前に新郎に話しかける父親みたいな顔しないで」 そっちこそ何だその凡例は。話の腰を折らないでほしい。 「お前はまだやったことないかもしれないがな、男女間の性行為というものはもっと大人になった時に、本当に好きな相手と時間を使って行うべきことなんだ。見聞きした情報で自分の体を汚すんじゃない」 「初めてじゃないんだけど」 沙布は肩を掴まれたまま嫌そうな顔でそう言った。驚愕の事実すぎて俺がフリーズしている間に、肩の手を払って腕を組む。 「卒業式の時に紫苑にお願いしたらしてもらえたわよ?セックス」 あのクソ馬鹿!!と俺は心の中で爽やかな笑みを浮かべる紫苑を声の限り罵った。卒業式の時ってことはつまり、沙布がじゅ……いや、年齢を出すのはやめておこう。紫苑が逮捕されてしまう。 沙布は再びうっとりした顔になる。こいつは本当に、あの間の抜けた二つ上の幼なじみのことが好きなのだ。自分がした行為や発言のおかしさに気付かない程度には。 「今考えると凄くロマンチックっていうか……当時は何かやけに苦しくて記憶が曖昧なんだけど、紫苑の裸は私よりよっぽど細身で、汗が首を伝うのがとっても綺麗だったわ……」 うふ、とでも言いたそうに当時の情景を語るので、俺は吐き気とともに耳を塞ぐ。あんたの初体験はどうでもいい、問題は紫苑が沙布に手を出したということだ。たとえ合意でも、世の中にはやっていいことと悪いことというのがある。どうやって頼まれたのかは知らないが、紫苑は沙布に干渉すべきじゃなかった。普通はそうだろう、別に恋人になったわけでもあるまいし。 意外にぶっ壊れている紫苑の倫理感。それはどうやっても直らなさそうだった。多分今でも、親しい奴に頼まれれば簡単に寝てくれそうだ。親しい奴が少なそうというのが救いだが、まさか俺ともそれで付き合っているんじゃないだろうな。同性に好かれそうな顔、というわけでもないだろうが。 沙布はようやくうっとり顔をやめて、ふんと鼻から息を吐く。こいつもこいつだ。一年の中でも上位の成績を有するくせに、ネジが飛んでいる。 「あんた意外に頭固いのね。普通に流すかと思った」 「俺が固いんじゃなくてお前らが変なんだよ。あんたらの中には幼なじみ同士は必ずセックスするとかいう決まりでもあんのか」 「ないわよ、あるわけないでしょ」 呆れたように首を振るけど、呆れてんのはこっちだ。本当に分かってんのかこいつ。紫苑に何と言って問いつめるべきだろう。いっそ嫉妬しているとかいう演技をすれば話が簡単だろうか。 沙布はぴんっと指を一本立ててみせる。 「私のおばあちゃん、紫苑が一緒って言うと何の疑いもなく送り出してくれるのよ。信頼されすぎてて申し訳ないっていう気持ちになるわ」 「まあ、確かに見た目は紳士だからな」 中身はどうあれ、だけど。やばい、これから紫苑を見る目が変わりそうだ。 「と、いうわけで、報告終わりね。紫苑には適当に言っとくわ」 「は?報告?なに今の決定事項なの?やだよ俺来ても鍵開けねえよ」 「ま、私は一緒にいて見てるだけでもいいんだ。一回見てみたかったのよ、ホモがどういう風にセックスしてるのか」 腕を組んで知的好奇心を覗かせる後輩の女生徒。頭が痛くなってくる。あとついでに昼飯を食べる前に昼休みが終わったんだがどうしてくれんだよ。 「ういーっす!お邪魔しまーす!」 「………………」 場所は変わって俺の部屋だ。学校近くのアパート二階角部屋、なんていういい位置を確保しているせいで、下校途中の奴らがちょくちょく訪れるような有様になっているが、今日来た奴らの顔を見た途端に引っ越したい衝動にかられた。 「全くもう、テスト返却が終わったら即帰宅とか駄目だと思うわ、人間的に。他を待つゆとりを持つべきよ」 「…………何でお前がここにいるんだ」 薄く玄関を開いただけの俺に、沙布は別人かと思えるほどの笑顔ではあ?と口走る。 「だから昼に行くって言ったじゃない。確かに待っててとは言わな」 「そうじゃなくて何でお前が俺の家を知ってんだよって聞いてんだよ」 ガンッ!と音をさせてドアを閉める。と思ったら閉まってなくて沙布の足が差し込まれていた。沙布は肩と頭をねじ込ませようとしながら凄い表情になって笑った。 「はんっ、そんなの、案内役が、いるからに、決まってんじゃないの」 「案内役?」 必死の形相でドア越しの攻防をする沙布の後ろから、ひょいっと案内役が顔を覗かせた。そいつの脳天気な表情を見ただけで、俺の手から力が抜ける。沙布はその隙を見逃さずにうらあっと玄関を開け放つ。 「……紫苑か」 「やっ。お邪魔します」 そして俺の返事も聞かずにすたすたと中に入る。それに引き続いて沙布も入ろうとするが、そう上手くいかせるか。顔を下から掴むと、「ふがっふががががもごごもむっ」とかいう擬音を上げて沙布が止まる。 「お前は帰れ」 「もがもごもがぐもぐげむむがぐぐはふ」 「紫苑には言っときたいことがあるけど、昼の話を聞かされてあんたを部屋に入れるアホがいるか」 「もぐもがげほぐがごごご」 もう何を言ってるかさっぱり分からないが、このまま外に追い出せるならラッキーだ。沙布の顔を掴んだまま玄関を開け、さっさと外に、 「ぶはっばなせゴラッ!」 出ろってぐはっ!?何だこの女足が浮いた状態で下段蹴りを繰り出しやがった!しかも手が緩んだ瞬間に下に回り込んで鳩尾に遠慮ない突きを正確に一、ぱつ……。 俺がなすすべもなく倒れると、沙布はぜはっと息をしつつ、ドアの鍵とチェーンをしっかりかける。俺の体を踏み越えようとする時、「真ん中に入れちゃったどうしよ」とか呟いてんのが聞こえたが、思わずとか間違えてとかいうレベルじゃない。まじで鳩尾は意識が飛ぶから本気でやめてほしい。 とかって死んでる場合じゃない。俺は呻きつつどうにか起き上がる。他人の部屋に我が物顔で押し入った奴らをどうにかしないといけない。短い廊下を抜けたら即リビング兼ダイニング兼寝室なわけだが、そのベッドに並んで腰かける人間が二人。 「ほら私の言った通りじゃない、自分で起き上がれる程度にしか殴ってないわ」 「いや、人を殴るのはよくないことだと思うけど……」 「……お前ら……」 もう突っ込む気力もなくて、俺は壁に寄りかかる。この部屋はひとり暮らしにしてはものが少ない方だと思うが、いかんせん三人も入ると狭く感じる。ソファーだのクッションだの洒落たものはないので、床に直接座るしかない。 こうして並んでいるのを見ると、紫苑と沙布は変なところが似ている。顔付きとかじゃなくて、内面からにじみ出てくる雰囲気とか、仕草とか。紫苑と同じ人間が二人とか勘弁してくれ。 ごほん、とわざとらしく咳をして、沙布は俺をちらっと見た。すぐに笑顔を作り直して隣の紫苑に話しかける。 「……さて紫苑、ネズミがあなたに言っておきたいことがあるんだって」 「えっなに?僕何かしたっけ」 いきなり直球だな。俺自体に紫苑と話したいことなんて沙布のことくらいしかないけど、それには本人がいない場所の方が都合がいい。ちなみに沙布が今日望んでいることなんて死んでも持ち出すつもりはない。 「いや……別に何もないけど、あんた三年だろ、こんなさっさと帰ってきていいのかよ」 「うん、進路の話は今日はしなかったし、僕は学校だと勉強できないんだ。というかしたくない」 他人がいるとちょっとねー、などと、神経質なことを言う上級生。沙布はふーんという顔で聞いている。お互いに成績優秀者のはずだが、そこは共感できないらしい。 「そもそも僕はあまり進学に興味ないっていうか、別のことがしたい、ような気がする」 「気がするだけだよ。あんたに働くのは無理だと思うぜ。大人しく学校行っとけ」 「そうかなあ。君にそう言われるとそう思えるような、反論したいような」 「どっちだよ」 がばり、と突然、沙布が紫苑の腕に抱き着いた。おい、と俺が声を上げるが当の二人はまるで気にしていない。紫苑は気にせずに俺の質問を考えるふりをして、たっぷり三十秒くらい沙布を放っておく。沙布が頭をぐりぐり押し付けた時点で初めて気付きました、という声を出した。 「沙布、どうした?眠いの?」 「……ねむくない」 妙にこどもっぽい声音と態度。そういえばこいつらが二人でいるところをあまり見たことがなかったが、何だかんだで紫苑の方が年上なんだし付き合いも長い。変な甘え癖があってもおかしくない、か。いやだからといってセックスはよくない。 俺という存在がいるのを忘れているのか、それともあえて無視しているのか、沙布はずっと紫苑にしがみついて離れない。紫苑も特に嫌がったりはしないから、このままずっと引っ付いているように見える。 「進学もなあ、行ける範囲と学費だと僕の行きたい学部がないんだ。先生は奨学金の話もしてくれたけど、あれって借金でしょ?学生の身分で将来の借金背負うのはって思っちゃうんだよなあ」 「……お前、それ、気にならねえの?」 「それ?ああ、沙布?うん別に」 紫苑はけろっとした声でそう答えると、猫にやるように沙布の喉をごろごろかいた。沙布は抵抗するでもなくされるがままだ。気分がいいらしくにゃーにゃー鳴き真似までしてみせる。 ぶはあ、と久々に盛大なため息が出た。沙布も沙布だが紫苑も紫苑だ。二人で仲よしこよしを演じたいならお互いの家でやってくれ、ここは出張休憩所でも何でもない。俺は立ち上がって、恋人にくっついている女の肩を強引に掴んで引きはが、そうとしたが、 「んあひゃっ!」 沙布は変な声を上げてひっくり返った。は?と俺が眉を寄せると、逃げるようにベッドの上を這う。紫苑の背中に隠れて、腰に抱き着く。はあ?意味が分からない。悲鳴を上げられるような真似なんて何もしていない。 「あーあ」 と、不意に紫苑が、どうしようもなく馬鹿な生徒を見守る担任教師のような目をする。沙布を腰に巻き付かせたまま、さらさらと後ろ手に髪を撫でる。 「やっぱ夜までもたなかったね」 「……よる?お前ら何やってんの?俺にも分かるように説明してくれない?」 俺は本気で頭が混乱してしまっていて、目の前の状況に全く付いていけてない。ベッド脇に立ったままの俺を、紫苑は沙布に向けたものと同じ目で見上げた。口には薄い笑みが張り付いている。 「ここまで来るのに、ちょっと時間あったでしょ。その間にさ、ちょっといかがわしい薬を飲んだみたいなんだよね、この子」 紫苑が髪を撫でるたびに、沙布は腕や足をぴくぴくと震わせる。どんな薬だか、何となく見当がついて、俺は腹の辺りに重いものが落ちていく気がした。視界が暗くなる。その中で一歩歩み寄って、紫苑をシャツの襟ごと掴み上げた。上級生だが、身長も体重も俺より少ない。怒りのせいか全く重さを感じなかった。 紫苑は笑みこそ引っ込めたが、どうして俺が怒っているのか全く分からないといういぶかしげな表情だ。くそっ、何でこいつには理解できない、こっちは声が出なくなるほどキレてるってのに。 「沙布は自分で飲んだんだよ?僕が強制したんじゃない」 「ッ、知ってるってことは、あんたも見てたってことだろうが、止めろよ!」 「どうして。当人の自由だ」 「お前の知り合いだろ!変なことさせんじゃねえよ!」 「それとこれは関係ないように思える」 「関係あんだよ!」 目の前の暗さが戻らない。紫苑の目は全く揺らいでいなくて、俺が何を言おうが変わることはないように思えた。俺は襟を掴んだまま、衝動に動かされて声を荒げる。くそ、息が苦しい、怒った時は呼吸ができなくなる。 「あんた、沙布とセックスしたって聞いたけど」 「ああ、うん。したね、そういえば。まさかそれにも何かあるわけ?」 紫苑は露骨に嫌そうな顔になる。こいつの快不快のスイッチはよく分からないが、必要以上に束縛されるのが嫌みたいだ。別にこれは嫉妬で聞いてるんじゃない、あんたの常識を聞いてるんだ。 「ある。何で断らない」 「どうして断る必要がある」 「あんたは沙布の恋人でも何でもねえ、ただの年上の知り合いだ。関係すべきじゃない」 「君もそうだ、沙布の恋人でも両親でもない。口を出すな」 「話をすり替えんなっ!俺が言いたいのはそうじゃない、そうじゃなくて、ああ、ああ腹立つ、好きでもない奴に手を出すなって言ってんだよ!頼まれたからやるっておかしいだろ!」 「変じゃない。沙布が僕に好意があるのは知っていた。確かに、僕は沙布を恋人にはできない。けど、それでもいいのかって聞いたら、それでもいいんだって」 「よくねえよやめるべきだった!沙布にお前の考えはおかしいって言うべき状況だろ!?あんたは、」 続きを言う前に襟を掴まれた。ぐいっと引き寄せられて口が当たる。紫苑の舌が無理矢理俺の咥内を割って入ってくる。何かが舌の奥に置かれて、飲み込まされた。タブレットみたいなものが喉を落ちていく。紫苑はそのあとも息が切れるまで口づけを続けて、俺が顔を振るまで襟を離さなかった。口を離してすぐ、上目に口を歪める。楽しそうな笑い。 「僕は頭がおかしいって?」 どこかのネジが飛んだ声だ。何が面白いのか分からないような笑顔のまま、紫苑は額を俺に当てる。ごつんと音がして痛みに目がくらんだ。 「ネズミ、君は毎回のことながら言い回しが遠回りすぎる。僕みたいな頭のおかしい人間にははっきり言った方がいい。『幼なじみで自分を慕う妹のような存在とセックスするなんてありえない、家族とするようなもんだ、常識がない、あんたの性格じゃ考えられない、お前は頭がおかしい』。君はこう言いたいんだろう?止める止めないの話じゃない、君は僕が君の思う常識を外れた行為をしたことが許せないだけだ。でもそう思いたくないから遠回りな聞き方をした。じゃあ僕の方からも質問しよう。君が僕に望む普通というのは一体何だ?男なんかと付き合わず、人当たりもいい、すこぶる常識的で良識を持った人間か?それならそれもいい。考えることは自由だ。沙布と同じように、僕は君のやりたいことを制限したりはしない」 ベラベラと喋り続けて、ふうと息を吐く頃には、紫苑の顔から微笑みは消えていた。さっき一瞬見せた真面目な顔付き。唇が噛まれるくらい近くに顔を寄せると、ゆっくり発声する。 「ただし、良識のある人間は君に沙布と同じ薬を飲ませたりはしないだろう?それくらいは分かるよね?」 「……くす、り」 「そうだ、さっき飲んだだろう。舌と顎の間に入れてたんだ。だから半分くらいになっちゃったかな?でもまあ、これで全員変な薬を使ったことになる」 紫苑はもう一回襟を引き寄せて、自分の首を曲げた。舌が入るたびに俺の手がひくりと痙攣する。何だこれ、力が入らない。たかだかこれだけのことで腰が抜けそうだ。実際に足が笑ってるし。紫苑を引きはがすどころか、肩に手を置くのが精一杯だ。 腰砕けの俺の背中に手を回して、紫苑はよいしょっと声を上げる。身長差があるから抱えるのに苦労しているみたいだが、それでも何とかベッドの上に移動させることに成功したらしい。沙布の頭が俺のすぐ下にあるのが見える。何だこの状況。何だよこの状況は。昼間に沙布が言ってたことが現実のものになりそうじゃねえかよ。沙布は眠たそうともとれるとろけた表情をしている。何だよ、あんたは何を望んで何を待っている。どうして紫苑なんかを連れてきた。 「さて、どうしようかな。沙布、どうしたい?」 「……んぁ、え、あ、えっと」 一番まともじゃない奴が、ひとりだけまともぶった声で問うている。沙布はぼうっとしていたが、紫苑が髪や頬を撫でるので起きたらしい。撫でる手を取る。 「しお、しおん、しおんがいいよ、はなれないで」 「そう。うん、離れない。今ここにいるよ」 「うん、あは、んん、くすぐったい、です」 沙布は背中を丸めてくすくすと笑った。くすぐったいだけの声じゃない。足がベッドの上でごそごそ動いている。紫苑は片手を沙布に取られたまま、もう片方で俺を揺すった。 「ほら、君も、寝てないで行動しろ」 「な、にを、しろって?」 「さっき君が言ってただろ、僕と沙布がセックスするのはおかしいって。だったら君がしてあげればいい。君は沙布に好意を持っていないのかい?」 さも当然のことのように提案されて、ただでさえ回らない頭にはまるで入ってこない。紫苑はいったん沙布に手を離させたあと、自分もベッドに乗って壁際まで移動する。三人も乗って壊れないのかな、とぼんやり考えた。変な余裕だ。 紫苑は後ろから沙布を抱きかかえる。夏服の袖やスカートがまくれていたが、沙布は全く気にしていない。何というか、とても嬉しそうで、これ以上ないというくらい満面の笑みだ。ふにゃあととろけた顔をして、自分の胸の辺りに回された紫苑の腕に手を絡めている。ぼんやりした頭でも分かるが、沙布は本当に紫苑が好きだ。何をされても、どんな状況でも、自分を愛してくれなくても、もののように扱われても、関係ないのだ。 沙布の耳元に口を付けるようにして、紫苑は囁きかける。近い位置にいるせいか、その声は俺にも届いた。 「ね、沙布、僕はここにいるから、ネズミにしてもらいな」 「、ん、ぃやっ、やだ、紫苑がいい」 「僕は駄目なんだって。だから我慢してくれ」 おいおい、どんな理論だ、話をすり替えてるのはどっちだよ。沙布もそれに気付いているのか、いやいやと首を振る。紫苑は笑みを絶やさないで、何を思ったか沙布の足を抱えた。抱えたというか、その、膝を抱えて、スカートの中を俺に見せるようにしている。沙布は首を振っているが抵抗する様子もないし、恥ずかしがっているようにも見えない。薬が効いているらしく、羞恥心より紫苑が相手をしないことを嫌がっているらしかった。 「ほら、何だかんだ言って、ネズミがじっと見てるよ、沙布のこと」 「やっ、だよぉ、しおんがいい」 いやいや見ざるを得ないだろう男として。俺は紫苑が好きだけどホモではない、つもりだ。女の裸だって普通に興味がある。ああ、駄目だ駄目だ駄目だ頭がイカれている。あれだけ紫苑に怒鳴り付けておいて、その舌の根も乾かないまま沙布に欲情している、とか。あの変な薬のせいだ。喉がカラカラになって、ごく、と動く。エロ漫画の主人公みたいなことをしてしまった。 紫苑はずっと抱えている体勢が辛いのか、時々体を揺すって楽な姿勢を探している。 「あ、そうだ。ネズミがしやすいようにしてやりな」 「しや、すい、って?」 「自分で広げて示してあげて?」 「んなっ、おい!?」 思わず口を挟んだ。この三年生一体何をどこまでさせようとしてやがる!仮にも一年の女子に向かってそんな、AV女優みたいな真似させる、とか、 「……ん、分かった。えっと……んしょ、こ、こうかな」 「そうそう、よく見えるね」 ってマジかよ本人が何の躊躇いもなくしやがった!沙布の倫理感とか貞操とかってどこまでぶっ壊れてんだ?好きな男に言われたからって自分で、とか、あああああありえない! 沙布は下着をずらすようにして、両手を使って膣口を広げてみせている。後ろに紫苑がいるからか、薬のせいかは知らないが、誰も触ってないのにヒクついて汁が溢れていた。マジかよ、と頭の中で繰り返しつつ、俺はそんな状況説明がしっかりできるくらい凝視してしまっている。沙布はただ見られているだけで何か感じるのか、苦しそうに呼吸を繰り返していた。 紫苑はぐったりした沙布の頭を肩に乗せて、俺を見る。ネジが飛んだ、丸い目だ。 「……女の子にここまでやらせて、我慢するってのはよくない行為だと思うよ、ネズミ?」 「……あんたは頭がおかしい」 「誉め言葉だ、光栄だね」 あー、くそっ、何も言い返せない。俺のだって残念なくらいに勃起していて、どこかで収めなきゃいけないだろうさ。頭はふらついて視界も暗いけど、この状況はしっかり覚えてなきゃいけない。全部紫苑が悪い。こいつさえいなきゃ、今日こんなことにはならなかったはずだ。 前身を取り出して、沙布の入り口に付ける。くちゃっと音がして、あっさり半分くらい飲み込まれた。 「んあっ!やっ、はぁっ、あぅ、」 沙布はいったん目を閉じたが、すぐに開けて俺を見る。バッチリ目が合った。今までのとろんとした気配はどっかに行ったようで、理性の光がある。自分の状況を確認すると、目が大きく見開かれた。 恐ろしいほどの早業で、紫苑の手が沙布の口を塞ぐ。悲鳴は手に吸収されたみたいで、くぐもった息だけが漏れた。助かったといえばそうだが、はたから見れば完全なレイプだぞこれ。 紫苑は沙布の足から手を離していて、右手を口に、左手を胴に回している。その状態で軽く笑った。 「何か、これ、僕が入れられてるみたいだね?不思議な気分だ」 「笑える、ことじゃねー、よ」 沙布がいやいやと首を振っているので、俺は半端な状態で停止していた。浅いところで揺れて、何ともじれったい状態ではある。つーか気を抜くと最後までいってしまいそうだ。まあこの状態で抜かない時点で選択肢はひとつしかない、ような気もするが、意思が弱すぎるな俺は。 やっぱり抑えがきかなくて、俺はずぶずぶと腰を沈めてしまう。踏ん張れなくなって壁に手をつくと、意外にも紫苑が少し浅い息をしていた。そりゃ、この状態で興奮するなって方が無理だ。 「んんっ!んんんんんっ、いゃっ、やだっ、んあっ!」 わざとなのか、紫苑の手が口から離れる。沙布はさぞかし盛大な悲鳴を上げることかと思いきや、そうでもなかった。普段より高いかなというくらいで、普通の大きさだ。ただ全部拒否なのが気になるところではあるが。 茶化す気にもなれず、俺は抽送を繰り返す。沙布の中は確かに初めての時というようなひっかかりはなく、後ろに紫苑がいるからか非常にスムーズに動いた。っていうか紫苑がいなかったらそもそも俺に許していないだろう。多分こいつの目的とは違うような気がするし。 「はっ、あっ、やっ、だってば、しお、しおんっ、」 「やじゃないよ、二人とも凄く気持ちよさそうな顔だよ?」 何でそういうことを平気で実況できるんだこいつ?沙布だけじゃなくて俺まで顔が赤くなりそうだ。かわいそうな沙布は抱えられているせいで逃げることもできずに、ぜえぜえ息を乱している。あれ、これいつ終わるんだろう。 「あふっ、んんっ、もっ、やだっ、」 沙布は自分で口を押さえた。胸の辺りに回されている紫苑の腕に体を預けながら、ぶるぶると震える。投げ出された足がビクンと痙攣して、入り口がぎゅっと締まる感覚がある。 「ふぁっ、はあ、はやく、どいてよ」 「っておい無理だって」 半目で脱力し抱えられた体勢のくせに、沙布はやけに偉そうだった。自分だけイッて満足とかそれはない話だ。確かにゴムも何もしてない俺がこのまま中で出すのは大変まずい行為だが、何で俺だけ放置されなきゃいけねえんだよ。 「はいお疲れさま。じゃあ僕が代わろうかな?」 「は?」 「へっ?」 意味不明の台詞とともに、紫苑は体をずるずる移動させて俺から沙布を引きはがす。俺を放置したままぐったりしてる沙布の服などを整えてベッドに寝かせると、四つん這いの格好で俺の前に来る。 「ほら、沙布から聞いてない?君と僕がセックスする様子も見たいんだってさ」 ……そういやそんなことも言ってましたねあの女!俺は眉間にシワが寄る感覚を覚えつつ、頬が変な感じに痙攣するのを感じた。紫苑はふう、と息を吐いて、座り込んだままの俺に背を向かせようとする。な、何だよ、何をする気だ。俺の顔が疑問で埋まっているのを見て、紫苑は多少頬を膨らませつつ声を出した。 「君が後ろを向いてくれないと、僕がやりにくいだろ」 「っておい!あんたが上かよ!?」 「何か悪いことがあるか?そりゃ逆でもいいけど、何も準備してないし無理だ。それに君は今沙布としただろう。均等な数にしなきゃ」 「意味が分かんねえよおいっ!」 紫苑はべろり、と手を舐めて、俺の尻を持ち上げた。ズボンを半分脱いだような形になっていて、足が絡まって逃げられない。紫苑の手は妙に冷たくて、触られた瞬間にぞくっとした感覚が背中を這う。首を曲げないと確かめられないが、紫苑はさぞ嗜虐的な顔になっていることだろう。 尻の穴なんぞそうそう緩むことはないと思うが、沙布とどうこうしたせいで色々筋肉が緩んでいるらしく、軽く広げられたような感覚と、中に何かが入ってくる違和感が同時に俺を襲う。何かもう、気持ち悪い。半分くらい泣きそうだ。 「やっ、めろって、このアホ」 「だって後ろで沙布が見てるし、約束してるし」 その約束と俺の尊厳はどっちが大事なんだはっきりしろ。何が悲しくて下級生に尻を掘られるシーンをガン見されなきゃなんねえんだ。紫苑は医者のような手つきでやわやわと尻を触っていたが、急にその手を上に移動させた。女相手の時みたいにさらさら胸を撫でている。 「んー、やっぱり真っ平らだね」 「だ、から、触、んな!」 「いろいろいじった方が緩むかなと思って」 シャツ越しになぞってもくすぐったいというかじれったいだけだ。紫苑は俺のケツ以外の肌には触れないとかいう誓いでも立ててるんだろうか。後ろであはっと嬉しそうな笑い声がする。 「うん、ちょっと緩くなったよ。やっぱり君は僕が好きなんだねえ」 「、そ、れとこれは、関係な」 「あるよ、安心してくれ、僕も恋人として好きなのは君だから」 からっと晴れた声で言われても、後ろに沙布がいるこの状況ではいちいち気を遣ってしまう。言うならもっと雰囲気を作ってからにしてくれ。 「じゃ、そろそろ頑張り時かな?」 紫苑はあくまで他人事のような軽い声でそう呟いた。作業のように言われると気が楽、だとでも思ったかよ。義務みたいに言うなよ。 沙布の時みたいに滑らかに入ればいいけど、そういや潤滑剤みたいのは何も使ってなかった。紫苑のアホは変なところで準備がいいから、もうわざと使わなかったとしか思えない。それでも尻穴が紫苑にめくられている感覚があって、俺の口から「うああ」とかいう情けない声が漏れる。 「んっ、やっぱ、きっつぃ……」 紫苑の実況は相変わらず続いていたが、俺より多少声が高いので年上という余裕は感じられなかった。つーか背を曲げて尻を突き出すポーズが既に辛い。もうどうでもいいから解放されたかった。紫苑が上というのは珍しいけど、それでもずるずると腰を動かすくらいはしてくれ、るッ!? 「こっちの方が早い」 「早いってなッ、ぐっ、んはッ、」 「もっと可愛い声を出してくれ、僕が萎える」 「むりッ、だって、やめろッ」 「録音したくなるような声を出してくれたらやめる」 何言ってんだこのクソ野郎!尻に突っ込んだ状態で手コキとかすんな死ぬかと思った!死ぬっていうか俺はついさっきまで沙布の中で耐えきってしまったわけで、その時点でもう限界なわけだ。触られた瞬間に出したっておかしくない。でもあんなことを言われて大人しく声を上げたら俺まで変態みたいじゃねえか、意地でも声なんて出すか。 という決意も空しく、こらえている声の方が紫苑を喜ばせそうな甘みを帯びていることに自分で気付いた。これをやめようと意図的に低くすると今度はそっちに意識が集中しそうだ。もういいよ、女子みたいな声とかが出ればいいってか、むしろ全てが解決するような気さえしてくんぞ。 「んはっ、くそ、、うぐ、かはッ、ぅあっ」 紫苑の体温が背中に伝わってくる。そういや、今は夏だ。こんなにくっついてたら脱水症状にでもなりそうだ。俺は息が苦しくてぜいぜい喘いでいる。も、駄目だ、ベッドの上だっつうに、何も準備なしで、 「おおっ、凄い凄い」 後ろから聞こえる呑気そうな声。それに反してこっちはもう死にたいくらいの恥ずかしさに駆られている。というかちょっと涙が出た。紫苑は俺の精液を受けた手をねちゃねちゃ動かした。その手で腹を触るのはやめてくれ。 そこで、まだ紫苑のが尻に入ったままだということにようやく気付いた。 「ッ、おまっ、まだいたんかよ!?」 「えっどういう意味?ショックだなあ」 紫苑は不満そうな声を出すと、恐ろしいことに挿入を再開させやがる。俺は違和感しかなくて、必死でベッドにすがった。何度目かのずりずりのあと、急に尻から何かが抜ける感覚がある。ようやく満足したか、と思ったら、 ぱたたっ、 とかいうまたもや何かが零れるような感覚が俺の背中を襲った。って引き延ばしてもこのタイミングで連想できることなんてひとつしかない、つまり。 「……あはっ、ごめん、失敗しちゃった☆」 「てめえええコラふざけんなッ!!どうして抜かなくていい時に抜いてしかも人にかけるんだよ!!」 「ごめんごめん。じゃあ中にそのまま出した方がよかった?お腹痛くなっちゃうよ?」 「そういう問題じゃ……はあ、もういいよ……」 俺はうずくまった姿勢のまま、残念なことになったシャツのボタンを外す。はあ、こんなことになるならさっさと脱げばよかった。何で着たままだったんだろうこのクソ暑い中。 ようやく振り返ると、にこっと晴れやかな表情の紫苑がもう既に身繕いを済ませていた。何を思ったかべとべとの手を舐めている。舐めんなアホ。 「……あともうひとつ。ネズミに残念なお知らせ」 「今日残念じゃないニュースなんて残念ながら俺は受け取ってないんだけど」 「沙布見てない。寝てる」 なっ、と口の端が痙攣する。紫苑の背中を覗くと、乱れた制服のまま下級生の女子がぐうぐう寝くさっていた。……もう本当何なんだよお前早く帰れ。 正直俺だって寝たい気分だったが、こいつらを追い返さないわけにはいかない。紫苑が呼びかけだけで起こそうとしている沙布の肩を揺らし鼻を塞ぎ頬を二、三回はたいて強引に覚醒させる。寝起き特有の凄まじい不機嫌な視線が俺を襲うが、側に紫苑がいるのを認めた瞬間それも消える。ほとんど便利アイテムの域だ。 「じゃ、ネズミが僕らは邪魔だっていうから帰ろうか」 「言ってねえよ曲解すんな」 「え、そんなに泊まってほしかったのか?しかも沙布と二人で」 「それも言ってねえ、さっさと帰れ」 笑顔でとんでもないことを言う癖はいい加減なくしてほしいんですけど。まあ、まだ寝起きで頭がふらふらしている時に追い出すっていうのは賛成。話を蒸し返されてもう一回やってくれなんて言われても困る。 沙布は頭痛でもするのか頭を押さえていたが、紫苑に促されてすぐにベッドから立ち上がった。 「せんめんじょ」 「は?」 「顔洗いたい。風呂場どこ」 地獄の底から響くような低音で聞かれて、俺は思わず素直に水場を教えた。沙布はふらふらしながらも、歩きながらシャツの襟を直すという器用さを見せつつ玄関の方へ消えていく。そういえば俺が半裸な点には何も突っ込まれなかったな。そういう人間だと思われたら困るんだが。 その辺に置いてあったラグランを着ていると、紫苑がよっこらせとか年寄りじみた声を出して自分と沙布の荷物を抱えていた。 「じゃあ、僕らはお暇するよ」 「二人で帰るわけ」 「君が送ってくれるのかい?」 「……結構です。沙布に目で殺されそう」 そうかもね、と紫苑はくすくす笑った。平気な顔だ。呑気そうな仕草も変わらない。この一時間くらいで、俺が紫苑に言ったことは何の意味も信頼性もなくなってしまったわけだけど、怒鳴られたことなんて何も気にしていない、という表情だ。実際忘れているのかもしれない。俺と目が合うと、「?」という感じで首を傾げる。はてな、じゃねえっつうの。 準備に時間をかけなさそうな沙布はさっさと戻ってくる。紫苑が自分の荷物を持っていることに気付くと、手を伸ばして奪い取った。持っていた方の手に指を絡ませる。あーはいはい、もう何も言わねえよ、好きにしろ。 「あっ、そうだ、忘れてた」 紫苑は沙布に手を握られたまま顔をこちらに向けた。何かと思う俺に首を捻って軽くキスをする。きちんと口に。 「ばいばい、またね」 「……紫苑」 「うん?何だい」 「あんた、手舐めてから口ゆすいでないだろ……」 「うん」 ……。あー、ここでキレたら前に逆戻りな気がする。嬉しいようなやめてほしいような微妙な気持ちだ。しかも去り際の沙布に脛を蹴られるし。 「紫苑!私!私にもして!」 「ネズミが駄目って言ったから沙布にはキスできないよ。ネズミにしてもらって?間接キスだし」 「ぐっ……絶対いや」 怨みのこもった目で睨まれる。行動が極端すぎるけど、これは一応進言を聞いてくれたってことでいいのかな、先輩。
2011:10:14
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