橋杖孝二郎は俺のひとつ上の学年で、模型同好会という胡散くさい部活の部長だった。だった、と言っても退部したわけではなく、この三月で卒業するので順当に引退し俺が部長職を引き継いだだけだ。別に俺じゃなくてもいいんだろうけど、何せ部員は先輩と俺の二人しかいない。来年は廃部が決まっているような部活の部長なんて、窓際の社員並にやることがない。
橋杖先輩はちょくちょく部室にやってくる。部室といっても生物準備室の軒先を借りている狭苦しいスペースで、部員が増えたら部屋替えをしなければならないような場所だが、こんな潰れかけの部活にはちょうどいいのかもしれない。先輩は壁に向けて備え付けられた机に向かい、家から持ち込んだらしいロボットのフィギュアを組み立てていた。別に塗装やら乾燥やらが必要なわけでもない、簡単なものである。
「んんー、何で俺が組み立てると全部自立しないんだろうね?」
どうやら完成したらしいフィギュアをいじってどうにか立たせつつ(人型ロボットは大股を開いて体を捻らせている)、橋杖先輩はそんなことを呟く。先輩は割に小柄かつ童顔で、はた目は中学生に見えた。細縁の眼鏡にぺたんとした髪質で、いかにも人のよさそうな穏やかな笑い方をする。無口で愛想のない俺のような後輩と二年間一対一で付き合えるのがその証拠だろう。
俺は模型同好会に入ってはいるが、模型を組み立てたり鑑賞するのが好きだというわけではない。何かに所属していないと妹に一緒に登下校する口実にされてしまうと思ったので、言い訳をする場所が欲しかっただけだった。橋杖先輩も似たようなものらしく、大抵は図書室代わりに使われていた。ちなみに二人とも生物は選択していないので、顧問の生物教師に何も聞くことがなくて実に勿体ない。
俺はちら、と本から顔を上げて、不思議なポーズのフィギュアを眺める。
「先輩が不器用なんじゃないんですか」
「機刈はほんと、はっきり言うよなあ」
先輩は嫌そうな顔もせず、むしろどこか満足そうな顔でロボットから手を離す。二年間の内で、先輩の作る模型が自立した試しは一回もなかった。手順が悪いのか取り付け方が悪いのかは分からないが、添え手を離すと前のめりに倒れたあげく壊れるのだ。
「ま、俺が作った分は全部部室に寄付してやるから」
「それ、いらないもの押し付けてるだけですよね」
「だって部屋に置いとくと邪魔なんだもんよー。向こうの部屋にも置く場所ねえしさ」
「……引っ越すんですか?」
初耳だった。というより、先輩の進路を全く知ろうとしていなかったことに今気付いた。よく考えてみれば、一月も終わりのこの時期に、ほぼ毎日部室によって勉強もせずだらだらしているというのがまずおかしい。推薦にしろ専門学校にしろ、秋には進路が決まっていたんだろう。
先輩はうんと頷いて、関西にある大学の名前を挙げた。想像通りの指定校推薦。そんなところから推薦の話が来ていたことも、わざわざ関西の大学を選んだことにも驚く。
「大変らしいぜー、成績落とさないようにーとか、レポート提出しろーとかさ。俺としてはあんな遠い学校の指定校なんて、とっとと外されろと思うけどねえ」
当事者の癖にまるで人ごとである。先輩は二年前からこういう理論を持ち出す人で、よく言えば楽天家、悪く言えば後のことをまるで考えないで行動するこどもっぽい性格だった。この部活が廃部寸前だというのに、なくなればいいと流れに任せているのがその例だろう。
「だってほら、弓道部とかラクロス部とか生物部とか映画研究会とか、昔はあったけど今はない部活なんてたっぷりあるだろ?」
部員を集めたりはしないんですか、と俺が聞いた時、先輩から返ってきたのがこの答えだ。まあ、俺も決して勧誘に熱心だったとは言えないけど、それは端に面倒くさいからで、先輩とは違う理由だ。先輩はまるで、積極的に部活をなくしたいように、そう動いているように見えた。俺と先輩、どちらが悪いのかははっきりしないけども。
先輩はぐんと体を傾けて椅子に浅く座る。身長の低さが強調されて小学生みたいだ。しかし上を向いてぼんやり口を空けているのは老人みたいだし、何もない宙を見てほうけている目は死人のようだ。その死人の目が、眼鏡越しに俺に向く。俺の目だって生気のなさでは負けていない。微笑んでいる分先輩はゾンビみたいだ。
「機刈はさ、いい感じの指定校取るんでしょ?っつうか推薦で大学行くっしょ」
「まだ何も決めてません」
「俺も機刈くらい賢かったらなー、賢いっていいことだよな」
「誉めてんですか」
先輩は心外だという目をしてみせる。よっと勢いをつけて体を持ち上げ、改めて座り直した。ガタガタと机と椅子が揺れて、準備室内の小部屋にいる教師が顔を出す。
「俺が機刈に誉め言葉以外を言ったことがある?」
「分かりません。一杯あるんじゃないですか」
「冷たいなーもう」
まるで中学生の女子みたいな怒り方をして(それは妹がよくやる姿に似ていた。ちなみに妹は双子で俺と同い年の高校二年生だ)、不意に目をそらした。先輩はそれでも目元に笑みを絶やさない。これは将来笑いジワができるような気がするけど、多分そんな将来まで付き合いは続いていない。
部長って、何をするんだ、と考える。持っていた本は閉じた。顧問の教師はまた中に引っ込んだ。前の部長はまた倒れたフィギュアをいじっている。持ち帰る様子はない。とりあえずこれを一月中に全て持ち帰らせて、そしてもう集まる予定もない部活に顔を出すのはやめにして、でもそうしたら妹に絡まれるから、何か他の口実を見付けないと。
「機刈ぃ」
ちょっと前の先輩と同じようにぼんやりと宙を見ていた俺は、先輩ののんびりした声が聞こえてからもすぐには反応できずにいた。小柄で童顔な、目はゾンビみたいな先輩は、声だけ高校三年生のふりをして俺に笑いかける。
「やっぱりさ、部活、どうにかして残す方向でさ、頼むわ」
「無理です」
「そう言わず言わず。機刈の力で何人か引っ張ってきてよ」
「俺の力じゃ小学生までですね」
「んんー、俺は突っ込むべきなの?ま、適当によろしく」
よろしくって何を、とでも俺の口は言いたげだったが、何となくやめておいた。きっと頭の奥底の方で、部活を残したいなんて気持ちが残っていたんだろう。別に今日で先輩と永遠に会わなくなるというわけでもないが、いらないことまで言って残り少ない高校生活にしこりを残させるのも可哀想だ。
なんて、たかだか一秒間でここまで考えたわけではもちろんなく、思考を中断されて頭が混乱していたので、判断を要す るような問いに即答できなかっただけだった。そして先輩は俺の答えも大して待たず、いつも通り上機嫌のままで生物準備室を出ていった。ロボットのフィギュアは置いたままだ。まさか、本当に全部持ってきたあげく置き去りにするつもりなんだろうか。年度末の大掃除で全て捨てられると思うんだけど。





2010:11:18