「そうだ、肝試しに行こう」
とか何とか新羅のアホが言ったので、賢明な俺は無視を決め込んだわけだけど、妙なところで律儀なドタチンが俺の無視を無視して新羅に聞いてしまう。
「肝試しなんてどこでやるんだよ。この辺は墓も廃校もねえよ」
「じゃあ学校?夜の学校に忍び込んでやろうよ」
「どうせ入る直前になって面倒だとか何だか言い出すんだろ」
「じゃあ面倒にならない場所でやろうよ」
段々言っている意味が分からなくなってきた。それは俺もドタチンも馬鹿なシズちゃんも同様だったらしく、お前のその発言自体が面倒なんだよという顔をして新羅を見ている。新羅は図書室の長机にべったりと顔をつけたまま、ゆらゆらと手を振って答える。
「だから、もし嫌になっても簡単に帰れない場所に行こうってことだよ」
は?というのもつかの間、新羅は退屈そうに目を細めて、
「電車に乗ってー、どこまでもー」
と、呟いた。









「どこだここは!僕はこの六時間何をしていたんだ!驚天動地とはまさにこのことだよブゲラボエッ!」
駅に降りた瞬間ギャーギャーと騒ぐ新羅の頭にシズちゃんのデコピンが炸裂(まさに炸裂)し、新羅は改札の方まで吹っ飛んだ。残された俺とドタチンは閉まっていく電車の扉を見ながら、どちらともなく呟いた。
「どこだよ……」
「ここは……」
やってきたのは池袋から電車で四時間とかいう意味が分からないくらい田舎だった。乗り継ぎに乗り継ぎ、わざわざそんな寂れた路線を選ばなくてもいいだろうというくらい車両を選び、辿り着いた聞き覚えもない駅。日は沈みかけていて、今から頑張って帰っても自宅に着くのは深夜になりそうだ。というかまだ授業中だった。
俺は吹っ飛ばされた新羅の鞄から財布を抜き取り、全員分の交通費を巻き上げる。ぎりぎり往復ができそうな感じ。呻く新羅を引きずって改札を出る。新幹線でも乗ったのかと思うくらいの金額が表示されて、俺は軽い感動さえ覚えた。
「さて新羅、どうするのか教えてもらおうじゃないか」
「あいたた、何するんだ、何回も言っただろ、肝試しあたた」
「シズちゃん話の腰が折れる、いちいち新羅を小突かないでよ」
シズちゃんはそのあともナイフみたいな手刀を繰り返していたが、十数回で気が済んだのかようやく新羅を解放した。新羅は地面にうずくまって動かない。見下ろしているとじわりと汗が額から染み出てきて、夕暮れ時なのに笑えないくらい暑かった。笑えない、全く面白くない。季節は夏でここは見知らぬ駅で俺達は目的もないまま突っ立っている。時刻表が目に入るが、一時間に数本もない。しかもどんどん数が減っていた。
アホウ、とカラスが頭上で鳴いた。その通りすぎて言葉もない。新羅は涙目になりつつもどうにか顔を上げると、呻きながら声を漏らした。
「ううう……だから、肝試しに行くんだよ……見知らぬ土地の見知らぬ墓で、しかも夜になれば辺りは真っ暗。理想的じゃないか……」
あまりの下らなさにまたシズちゃんが新羅を締め上げようとしたが、ドタチンが制して新羅は一命を取り留めた。シズちゃんは今回まだひと言も喋ってない。馬鹿な物語ではきっと喋る言葉を失うのだろう。シズちゃんを制したドタチンは頭を振りながら、どうにか冷静でいたいんだという表情で声を出す。残念ながら失敗していた。
「それで、お前はどうするつもりなんだよ。見知らぬ場所って言ったけど、それらしい場所のあてくらいあるんだろ」
「ないよ?」
何の躊躇いもなく新羅は堂々と言い切る。ドタチンはツッコミを諦めたのか、深いため息をついて一歩後ろに下がった。俺と同じ位置だ。新羅はよっ、とやけに息をためて立ち上げると、乱れた制服を直してから俺達の方に向き直る。改めて辺りを見ると、駅の宿舎にはもう誰もいなかった。駅員の姿さえ見えない。どこだよ、ここは。
「そんなの、地元の人に聞けばいいじゃないか。分からないことは人に聞く、常識だろそんなの」
「新羅が常識を語ってるよ」
「臨也に言われたくないね」
「珍しいな」
「門田くんには言われても仕方ないかなと思ったかな」
「珍しいな」
「静雄には言われたくなあたたたたた!!」
ギャグ漫画じゃないんだからてんどんもいい加減にして欲しい。新羅はまたしても涙目になりつつ、何事もなかったかのように宿舎を出て、辺りに人の姿を探した。残念ながら、学校帰りの学生はおろか、散歩中のご老人さえ見かけない。これだけ暑いんだから当たり前である。新羅は予想でもしていたのか、特に気落ちする様子もなくざかざかと歩いていった。俺は正直このまま電車を待って帰りたかったが、何故だかそうしないで後ろをついていくことにする。シズちゃんもドタチンもそう思ったのかは知らないが、特に文句も言わずに新羅を追いかけていた。見知らぬ町を歩く四人組の男子高校生。不審者もいいところだ。
しかし、暑い。夜になって気温が下がるとは到底思えない暑さだ。気温なんて永遠に下がらないんじゃないのか、なんてどうでもいいことさえ考えてしまう。下がらないはずがない。夏なんてどうせあっという間に終わってしまう。
だからこの暑さも一時的だ。でも今日、あと七時間くらい暑いのはどうもできないことなのだ。この無駄に流れる汗も、チリチリ焼けて痛みそうな首筋も、全く人がいない駅前広場も、俺の処理できる範疇を軽く越えている。というかどうしてこうも人がいないんだ。そりゃ、駅前商店街がシャッター街であることくらいは想像できたが、それにしたってお年寄りのひとりくらいは犬でも連れて歩いているはずだろうに。
俺達は誰も喋らなかった。新羅はどこを目指しているのか、どんどん人がいなそうな場所へと歩いていってしまう。あのひ弱な人間は、とうに暑さで頭をやられているに違いない。馬鹿に付き合って熱中症なんてごめんだった。
「新羅」
呼びかけても新羅に反応はない。いつの間にか前を歩いていたドタチンが振り返って口を開けかけたが、俺は首を振って止めた。ボリュームを上げて叫ぶ。
「新羅!」
そこでようやく新羅は振り向いた。予想通り、顔が汗だくだった。倒れる一歩手前のような表情で、返事もワンテンポ遅れている。新羅は口をぱかりと開けた。
「……ああ、そうだね、忘れてた」
「忘れてたじゃないよ、帰ろうよ」
「線香買わないとね」
は、とその場の全員が不審に思っただろうが、新羅はその雰囲気に全く動じず、すたすたと今まで来た道を引き返す。いかにも暑さにおかしくなっている顔なのに、動きはやけに機敏だった。例のシャッター街まで引き返すと、雑貨屋らしい店を探し出して中に入る。何たら商店とあるが、掠れていて読めない。俺達は中に入った新羅を追いかける元気もなく、軒先にへなへなとしゃがみ込んだ。陽射しはいつの間にか赤みを帯びていて、さっきまで感じていた真上からの直射日光ではない。
「お待たせー、って、何だい皆して死にそうな顔をして」
「…………」
五分ほどして新羅が帰ってきても、俺達は立ち上がれずに座り込んだままだった。新羅は全員の顔をきょろきょろ見回すと、抱えていた荷物を地面に下ろして、その中から缶を選んで渡してくる。
「はいお茶。中の人がくれたんだ」
「新羅……何してきたの?」
「お墓の場所聞いて線香買ってきたんだよ。飲んだら行くよ、近くだから」
はいはい、と新羅は全員にお茶を配る。缶は温かったが、とりあえず飲み干した。そういえばこいつは医者の卵というか、出来損ないの無精卵みたいな奴だった。しばらく無言でシャッター街を見る。相変わらず人通りはない。夕日も差し込んでいるが、驚くくらい辺りは明るかった。このまま無言で座っていたら、いつまでも一日が終わらなさそうだ。
がし、と音を立てて最初に立ち上がったのはシズちゃんだった。さすが無駄な体力馬鹿だ。続くのは不本意だけどずっとだらけていたら帰れない。渋々立ち上がる。今度も新羅を先頭にのろのろ歩き出した。さっきまで向かっていた道ではない。商店街を抜けて、住宅のある道に行く。
「お前、何て言って墓の場所なんて聞いたんだ」
「普通にだよ。岸谷といいますが、この辺りに墓地はありますかって」
「名前まで言ったのかよ……」
「うん、まあ予想通りにさ、岸谷さんがいるかは分からないけど、墓地ならあそこに、とかいう答え方をされたよ。一応一番広いところらしいから、まあ迷わないだろうさ」
新羅とドタチンがそんな会話をしているのが聞こえたけど、俺とシズちゃんの間に会話はなかった。見知らぬ場所に妙なシチュエーションで訪れたからといって、急に仲がよくなるわけじゃない。









迷いはしなかったんだろうけど、墓地に着いた頃にはとっくに日は沈んでいた。といっても新羅が言ったように真っ暗ではなく、外灯がいくつも光っていてわりと明るかった。少なくとも墓に刻まれた文字とか卒塔婆が何本立っているかが分かる程度には明るかった。これじゃあ肝試しの意味がない。墓地は狭くて、入り口に立っただけで端から端まで見渡すことができた。何の変哲もない、平和な場所に思えた。
新羅は買った線香を四等分して分けた。シズちゃんが何故かライターを持っていたので、それで火を点ける。それぞれ墓地の角地から回り、供えるかということで意見が一致した。というか、あまりに意味不明すぎて異論を挟めなかった。知りもしない一族の墓に適当に線香を置いていく高校生。繰り返すようだがおかしすぎる。ここじゃなくてもいいだろうとか、どうして馬鹿正直に線香なんだとか、もっと他にやり方はなかったのか、とか。色々突っ込むためには気力も足りなかったし、そもそも絶対的なやる気がなかった。そもそも肝試しなんてやりたくなかったのだ。肝試しが墓参りに変わっても、今更問題はないか。
俺は適当に置いて、やけにのんびりしている新羅のところに歩いた。新羅はぼうっとした表情で線香を供えている。俺に気付くと、火が点いたままの線香を振った。危ないな。
「あれ、臨也、もう終わっちゃったの?」
「少ないからね。そんなことはどうでもいいけど」
「やっぱりこう明るいと物足りないって?」
「物足りないとかそういうんじゃなくてさ」
「じゃあ満足した?二人とも終わったみたいだし、帰ろうか」
新羅は残り全部を中央の墓に置き、すたすたとその場から歩いていく。俺は聞きたい質問を全てはぐらかされたような気分になって、もやもやした気分だった。俺はこう聞きたかったのだ。お前は、本当は意図してここに来たんじゃないのか?単純にこの墓のどれかに、挨拶しに来たんじゃないのか?
最高にどうでもいい質問だった。交通費も巻き上げているし、俺は今日一切金を使っていない。なくなったのは体力と、夏休み前の一日分の時間だ。数少ない友人にあげるのも悪くないか、見返りは全く期待できないが。
汗が引いている。体はべたついたが、歩くだけで額から汗が垂れるということはなかった。むしろ風が出てきてようやく涼しくなったところだ。俺達は墓地から出て、とりあえず帰途に着くことにする。ここで俺はようやく時間を確認した。夜の七時。さて、帰りの電車はあるんだろうか。





2010:08:24