おう、我ながら中々すげえなと自画自賛せざるをえない。普通の人間はこんなことしないし恐らくされないし、しようとしても多分できない。言い切れないところに不満は残るが、こんなことに満足したらそれはそれで俺自身がおかしくなりそうなので、同じく見ないふり。
「……いい加減、手が痺れてきたんだけど」
ん?と意識がどっかに行っていたことに気付き、手の先に何やらぶら下がっていたことを思い出す。何かと思えばそれはノミ蟲で、驚いたことに空中に投げ出された格好だった。更に驚くべきことに、こいつは俺の腕一本に自分の命を託しているわけだった。
場所は屋上、フェンスの先。俺は膝をついて身を半分乗り出し、臨也は俺の一歩先、つまりは足場がないところで、俺に腕を捕まれながら、いかにも苦しげな表情でこっちを睨んでいる。足場がないところに立っていられるわけもなく、こいつが地面に激突しないで済むのは完全に俺のおかげということになる。しかし、まあ。
「……あー、あああ、お前、何でそんなとこに浮いてんだ?」
臨也は傍目にも分かるほど大袈裟に眉をひそめる。
「それ、マジで言ってんの?」
「記憶が全くねえ。疲れたから手ェ離すわ、悪いな」
「シズちゃんが俺を屋上から放り投げたんじゃないか!怒りも呆れも通り越して大物と思えてきたくらいだよ!」
ぎゃあぎゃあと臨也は喚いた。さすがにこの害虫も、潰されて死ぬのは嫌らしい。俺も俺で、離すと言った割に手が動かないのだった。朧げに、数分前の記憶がよみがえってくる。
そうだそうだ。こいつがいつも通り苛立つことを言うから、俺は何かを掴んで投げたんだ。どうやらその掴んだものは屋上のフェンスで、臨也は飛んでいったフェンスを避けようとして、うまいことその隙間から落ちていったらしい。しかしそこから先が曖昧だ。
どうして俺は、こんなクソ野郎を助けるような真似をしたんだろう?だってこいつは自分から落ちていったのだ。遠因は俺にあるとしても、直接の原因はどう考えたって臨也にある。手を差し出さなければ確実にこいつは死んでいたはずなのだ。
俺は首を捻る。
「放り投げてねえよ。責任転嫁するな」
「やってることは大体同じだろ、シズちゃんが俺を落ちるように仕向けたことに変わりはないって」
「仕向けてねえよ。面倒くせえな……」
イラッとするとギリッと手に力が入る。このまま行けば臨也の手首は折れ、こいつは勝手に落ちていくだろう。それがいいとも思うし、そうなると考えたら手に力が入らないような気もする。
ふとした瞬間に、下にオレンジ色のものが見えた。陸上競技用のマットだ。ああ、と俺は息を吐く。何だ、あんなものが敷いてあるわけか。
「臨也。お前に選択肢は二つある」
「急に何変なこと言い出すのさ」
「俺が疲れて手を離して下に落ちるか、俺が今手を離して下に落ちるかだ。どっちか選べ」
「それ二択になってないと思うんだけど」
「俺の中では完全に別の選択肢なんだよ」
「三番目に『屋上に俺を引き上げる』って選択肢は作ってくれないわけ?」
そこまで言って、臨也は嫌そうに顔を歪めた。自分で提案した癖に、俺に助けられるというのがどうしても許せないらしい。かといって、マットまで落下するのが嫌なら、俺を頼みの綱にするしかない。もちろん俺は引き上げるつもりなんて更々ないし、こいつもそのことは分かっているはずだ。
沈黙。また沈黙が下りる。屋上はやけに静かだ。声がまるで聞こえない。考えてみれば、屋上から人がぶら下がっているなんてどう見ても異常な光景なのに、野次馬って奴らが極端に少ない。まあ、今の俺は後ろを振り返るなんていうダルいことは死んでもやりたくなかった。臨也の腕を掴んでいる手が、何となく感覚の鈍さを伝えてくる。臨也も俺の腕を掴んでいた。目が合う。引いたら負けだとでも思っているのか、ノミ蟲は落下の恐怖で少しひきつった表情をしているものの、目はそらさない。
急に何もかもが馬鹿らしくなる。俺は膝をついて、重心を上に移動させながら、ゆっくり立ち上がった。ついでに腕も引き上げる。それに吊り上げられて、臨也がついてきた。後ろからワッと声が上がる。
「……結局、三番目じゃないか」
ようやく固い屋上に足をついたノミ蟲は、らしくもなく地面に手をつきながらそうぼやいた。俺は聞かないふりで臨也から離れる。さっきまでの妙に静かな心情。あれは多分、いつでも簡単にこいつを殺せるっていうところから来ているんだと思う。だからその状況がなくなれば、あの落ち着きは取り返せない。
しかしどうして手を離さなかったんだと思うと、それも疑問だ。何を選んでも臨也の思い通りみたいで癪に障る感じがしたからだが、それじゃあ普段とやってることが違う。言動を合わせたいなんて思わないけど、臨也のアホに自分の感情を邪魔されてるみたいで気分が悪い。虫を殺すと一瞬感じる不快感。それと似たようなものを感じているのかもしれない。
どちらにせよ終わったことだ。右手がぴくっと動いて、握力が少し弱まった気がする。臨也の馬鹿をぶっ殺して、ノミ蟲の呪いで力が弱まればいいのに、とか考えて、あまりの気色悪さに吐きそうになった。恐ろしいことだ。





2010:05:05