死武専のテラスには一応の転落防止用として柵が設置されていた。かといってそれほど高いわけでもなく、俺の胸辺りしかない申し訳程度の存在感だった。
で、マカはそのフェンスによじ登って身を投げ出していた。
「んなっ、ちょ、お前何やってんだよ!」
偶然にも、今まさに柵に体を預けて折り曲げるような体勢になっていたマカを目撃した俺は、不意打ちが与える動揺そのままに声を上ずらせた。まさか、あの優等生ともあろうものが、こんな場所から飛び降り自殺?このテラスは死武専で一番高い場所というやけでもないけど、落ちたら色々な場所に体をぶつけまくって簡単に致命傷を与えられる地点である。
マカは走ってきた俺をちらっと振り返ると、際どい位置まで上がっているスカートを直そうともせず、不機嫌な声を上げた。
「何って、下見てんのよ。悪い?」
「した?ああ、下ね、下か」
「あんたまさか、私が飛び降りでもするように見えたわけ?」
「すいません見えました」
「するか馬鹿野郎」
マカは目を細めたあと、ぐんと勢いを付けて後ろ側に飛び降りた。柵が歪む音がしたが本人に気にする様子はない。俺の目の前で、特にぐらつくこともなく着地する。手を広げたポーズまでとる余裕っぷりだ。
「飛び降りなんてするわけないじゃん。必要もないし」
「必要があったら飛び降りんのかよ」
「例えを出したまでよ、確実に死ぬことが分かってるんだからそんな申し出あったって絶対に受けない」
「暑いから分かんねーよ?」
「ソウルの頭の中では気温の高さと飛び降り自殺の多さが比例したグラフが展開されてるわけ?」
「例えで言ってんだよ、本気にすんな」
ぶつ、と電源が落ちたみたいにマカは黙る。その沈黙っぷりはいっそ気持ちがいいくらいだ。マカは黙るけどそこに不機嫌はない。大抵またすぐに会話の糸口を見付けてひとりで勝手に喋り出す。俺はそれに合わせるだけだった。
「確かに暑い」
ほら見ろ。マカは三十秒間の沈黙にすら耐えられない人間。しかもそこを拾うか。まあいい、何せ本当に暑いのだ。デスシティーは死神様の魂が影響しているせいか、年間通して寒暖の差が少ない。だというのに、ここ数日はやけに暑いのだ。
「そういえば何回か断水もあったしな」
「こういう時だけは、デスシティーを離れてどっか違うとこに行きたいって思うわよ。課外授業でも何でもいいから、涼しいところに行きたい」
「けど出られねえしな」
俺はマカの横を通って柵に寄りかかった。熱気でぼやけた眼下の風景。歩く人の速度は遅く、妙に影が薄い。最近の天気はずっと曇りで、雨は降らないが湿度が高くて蒸し暑い。これも珍しい。マカは嫌そうに顔をそむけた。
「デスシティーから出るな、ってね。どういう事態なのか知らないけど何でそんな話が出回んのかしら」
「死神様が風邪でもひいたんだろ」
「神様って風邪ひくの?」
「そりゃひくだろ?」
「あんたの頭かっ開いて中覗いてみたいわ」
「やめろ!お前が言うと本気っぽくて怖い」
マカはすわった目付きで俺の頭に手を伸ばした。思わず払いのけると、向こうから大袈裟に悲鳴を上げられる。
「ぎゃっ!やだっ、気持ち悪い、ぬるってした!べとってした!」
「お前の腕がべたべたしてんだよ!いつからここにいるか言ってみろ!」
「五分前!やー、気分悪くなったー、ほんとどっか行きたい」
マカは適当なことを言うと、何を考えているのやらその場でぐるぐる回り出した。よく分からないが腕でも乾燥させようとしているんだろうか?
デスシティーから出られない。今日で四日目になるけど、その命令が撤回されることはない。入ってくるものは制限されていないが、この町は決して広いわけではない。長く続けば住民やら生徒やらのイライラがたまって、それこそ死武専に押しかけてきたりするかもしれない。俺としては、多少水が心配になるけど、まだこれといった問題はないから、好きなだけ続けて問題を解決すればいい、と考えていた。課外授業はおろか、授業数まで今は極端に減らされている。かといって他に行く場所もないので、死武専にはだらだらと暇を潰す生徒が大勢残っていた。
ただそんな悠長で懐の深い俺にだって我慢できない点は勿論あって、それが暑いというところだった。屋内にいようが外にいようが、湿度が高くて風がないので大して気温の変化がない。ならせめて人口が少ない場所、と思って選んだのがこのテラスだった。見晴らしはそこまでよくない上、あまり使われない教室の近くにあるので訪れる人間が少ないのだ。加えて上から、もっと見晴らしがいいテラスが突き出しているため日陰もできている。カビが生えそうな穴場だった。まあ、先客がいて、マカだというのが多少残念だったけど。
腕を振り回すのに飽きたのか、マカは額に汗を浮かべて日陰まで移動する。ぬるいのがまとわりつくようで、外にいる限り日陰も日なたもない。そもそも曇っているのだ。マカの真似をして下を見ているのも馬鹿馬鹿しくなったので、いい機会だと日陰に移動する。ついでに建物の中に入った。まだ十分昼間なのに、校内はやけに暗い。
シャツの袖をまくり上げて、マカは思い出したような声を出す。
「ああ、課外授業。忘れてた」
「課外授業?そんなんあったっけ」
授業数自体が少ない今、何故だか知らないが他人の魂を狩ることも少なくなっていたのだった。あまりに暑いので、動く気も出回る気もしないんだろう、などと俺は考えている。
「取ってきたから、夕方から出かけるわよ」
「はあ?何だそれ、初めて聞いた。こんな時期に何で魂なんて取んなきゃいけねえのさ」
「こんな時期もあんな時期も関係ないわよ。やれる時期にやる。それが鉄則で基本でしょうが、忘れたの?」
マカは階段の踊り場でぴたりと足を止めた。数日前までは賑わっていた校内に、今は誰も生徒がいない。夏休みみたいに静かだった。そのまま降りていこうとした俺の行く手を塞ぎ、マカは不機嫌そうに声をひそめる。
「いい?私達の集めた魂の数を思い出してよ」
「九十、や、まだ八十か。八十七」
「おかしいと思わないの?」
「どこがどうおかしいんだよ」
「明らかに数が偏ってるのよ。数優先で回されてきてる。それはこんな時にも全然変わらない。だって他の子は課外授業なんて取ってないし、そもそも受付が動いてない。分かる?優先されてんのよ、私達だけ」
ベラベラとよく回る口だ。俺は手すりに腕を預けて、そのお小言を聞き流す。
「死武専は全然平等じゃない。ここの目的は『デスサイズを作ること』で、『生徒を強くすること』じゃない。数が多い職人が優先されてる」
「それがどうしたよ。躍起になって騒ぎ立てるようなことじゃねえだろ、今更こき使われるのが面倒だって愚痴かよ」
「違う。んなことはどうでもいいの。肝心なことは、その優先を見逃すなってことよ。数が回されてんだったら、全部取り尽くす。絶対に失敗しない。分かってんの?」
「分かってるって」
「嘘くせえ」
「嘘ついてどうすんだよ」
「それもそうね」
マカはあっさり引き下がった。大人しく道を譲り、自分も階段を降り始める。今日課外授業があるという癖に、家に戻って一体何をする気なんだろう。まあ、どこにいても暑いことには変わりないし、これから人ひとり殺しに行くのに優雅に図書館で読書というのも気が引けるか。
「お前」
さっさと歩くマカの後ろから呼びかけた。まくられた袖はやけに短くて、肩まで見えそうだ。何よ、と職人が振り返る。
「ほんと、一番が好きだよねえ」
「当ったり前じゃない」
笑いもしないでマカは答える。俺はちょっと笑う。そうして、馬鹿みたいに後ろからついていった。課外授業か、面倒なことこの上ない。何せ暑すぎるんだから。
2009:07:28