ぜはっ、ぜはっ、うえぇっ。
自分が出す呼吸の音が空気の抜けたタイヤみたいになってる。随分な量を吸ったり出したりしているはずなのに、全然肺に届いている気がしない。最終的に吐き気まで伴ってきたので、僕は地面に手を付いてへたり込んだ。手からパートナーの武器が外れて、からんと転がっていく。ぽた、と一滴汗が落ちる。
「ふはっ、ひぃ、うえ、し、死ぬかと思った……」
「ヒビキはそれ毎回言ってるよね……」
転がった武器が人間の姿を取り、呆れた口調で僕に話しかける。パートナーで武器のカエデ。そう言っている彼女自身も、心なしか呼吸が荒い。
僕はゆっくり顔を上げて、目の前に浮かぶ魂を見た。三十分の死闘の末、どうにか露出させたものだ。
「はあっ、当たり前だろ、僕はそんなに、動ける奴じゃないし、そもそもカエデは棒じゃないか、鈍器で殴り殺してるんだから、疲れるのも当然だよ……」
「それもそうだね、まあ私も、どうにか刃物でもつけられないかって、努力はしてるんだけどさ……」
二人揃ってため息をつく。入学してから一年が立つが、取った魂はこれでようやく二桁になったくらいだ。
僕はぐっ、と口を閉じる。いいんだよこれで。僕達は二人ともがっつくような性格じゃないし、悪人を殺しやすいような武器じゃないことも承知している。それでもあれだ、スポーツ感覚で相手の魂を取るなんてどうかしてるし、狩るんならこっちの命まで強制的に賭ける羽目になる。毎回毎回死ぬ思いをして魂を取っても、今度は僕の寿命が短くなるだけだろう。
「ヒビキ、落ち着いた?立てそう?」
「はあっ、うえ、大丈夫、帰れる。カエデ、魂さっさと食べちゃいな。放置しておくのも何だから」
カエデは頷いて、魂を手に取る。彼女は僕より二つ年下で、体格も小柄だ。魂をひと口で飲み込むことができないから、こちらに背を向けて咀嚼している。
ずき、と手が痛む。手袋越しの皮膚が突っ張ったように痛い。恐る恐る手袋を取ると、手のひらの皮膚が剥けて血が出ていた。うんざりする。これだから魂を取るスピードが遅いのだった。
「終わったよ、帰ろ」
カエデが振り向いて、僕にそう話しかけた。うん、と頷いて立ち上がると、カエデはそのポーズのまま、前を見て口を開けている。手が少し浮いて、僕の後ろを指差しているように見えた。何かと振り向く。
「………………」
開いた口が塞がらない、というのはこの時みたいな状況をいうんだと思う。僕は手の痛みも忘れて、前方にいる人影を眺めた。
浮いている。
ほうきに乗って、ぷかぷか宙に浮かんでいる。頭には大きな帽子をかぶり、奇抜な衣装に身を包み、僕を丸い目で見下ろしていた。
「あ、ああ……」
カエデが後ろで小さい声を上げる。そうだ、僕には魂感知ができないが、これだけ分かりやすく、しかも目の前に現れたのなら、いくら何でも区別がつく。
魔女だ!
「カエデッ!」
怒鳴ると、カエデははっと身を震わせて、すぐに体を武器に変えた。武器といっても、両端に金属加工がなされた、ただの棒である。持つ部分はかなり細いが、武器の特徴として折れることはない。
握ると手が大袈裟に痛んだ。近接戦闘しかできない僕達にとって、何か大規模な破壊呪文でも唱えられたらおしまいである。かといって逃げ出したら後ろをやられるかもしれない。魔女が目を丸くしている内に、先手を取るしかない!
『ヒビキ!無茶は、』
「分かってる!でもやるしかないよ!」
カエデが止めるけど、構わず前に走った。魔女の浮かぶ場所目掛けて棒を振るう。いない、避けられた、続けて振るう、振るう、振るう!もう目茶苦茶だ、でも、やるしかない。
魔女は避ける度に、どこか間の抜けた声を上げた。ほうきで細かい距離を動くせいか、バランスも悪い。
「あっ、ひゃっ、ちょっ、待った!」
気にしている余裕も必要もないので、僕はここぞとばかりに頑張る。殺したくはないけどこっちだって死にたくない。生きてここから帰るためには、この魔女を殺すしか道がない。
「だっ、ちょっ、まっ、ちょっと待てっつってんだろそこの人間!!」
ふい、と振り上げた一撃を、魔女はそれよりずっと上に舞い上がってかわした。アパートの三階に近い高さで、僕が飛んでも跳ねても攻撃を与えられない場所だ。ということは。
『逃げようヒビキ!』
「もちろん!」
カエデを持ったまま、脱兎のごとく走り出す。勝ち目が薄くなった今、弱い僕達にできることはデスシティーまで逃げ帰ることしかない。いくら何でも、そこまで追いかけてきて暴れることはないだろう。
さっき散々動いたせいで足が笑っている。うまいスタートダッシュが切れなくて、体が地面にへばりつくみたいだ。いつもなら軽いカエデが妙に重く感じる。とにかく、駅まで行かなきゃ、
「待てって言ってんでしょ、止まりなさい」
「!!!!!」
曲がり角を曲がったその目の前に、さっきの魔女がいて進路を塞いでいた。僕は声も出せずに驚いて急停止する。カエデからもぎょっとしている気持ちが伝わってくる。突然止まったせいで足がおかしくなりかけている。ずり、と一歩引いて、とにかく別のところへ、
「逃げるな!」
ぐいっ、と、それもかなわない。腕を掴まれる。カエデごと振り払えば抜け出せるかもしれないが、そんなことができるはずもない。僕は久しぶりに味わう死への恐怖に、心臓が縮まるきゅうんという音を聞いた、気がした。思わず目を閉じる。
「君にさあ、」
「……ッ!!」
「色々聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「…………はあ?」
僕は目を開けた。帽子を上げて、魔女はまっすぐ僕を見ている。数回まばたきして、ほら、と両手を上げてみせる。
「少なくとも、私からは攻撃する気はないよ。だからさ、君も、とりあえずその武器置いてくれない?」
解放されたので、僕はとりあえず距離を置いた。さっきの激突するかもしれない、という距離は近すぎる。心臓がまだ収まらないでばくばくいっている。膝も震えてがくがくだ。カエデを地面につけるふりをして、杖代わりに僕を支えてもらう。
ふう、と魔女は息をついて、僕と同じようにほうきを立てた。腰に手を当てる。
「ようやく静かになったか。あのねえ、君さ、いきなり殴りかかってくるなんて酷いじゃない。私何も悪いことしてないよ」
「そ、それは、あの」
「だからそれを聞きたかったの。正直に答えれば私はそれで帰るよ。さて、どうして?」
「………………」
こ、答えづらい。だって見た目は明らかに魔女なのだし、僕は死武専の生徒なのだから魔女を殺すのはほとんど儀式みたいなもので、そこに僕自身の理由なんて挟まる余地がない。そもそも、僕自身に誰かを殺したいとか殺さなきゃ気が済まないとかそんな気持ちは一切ないのだ。
というかどうして魔女がそんなことを聞く?魔女に面と向かって「何で殺すの?」なんて聞かれた死武専生は僕が最初なんじゃないのか?
『ひ、ヒビキ、もしかしたらこの人……』
「え、なに、何かあった?」
『もしかしたら、格好がそれっぽいだけで、魔女じゃないのかもしれない……』
は、そうか、それはありえることかもしれない。僕は魂の質が分からないから、相手が何者かなんてよく知らないまま応対してきたけど、実は目の前の人はただの奇抜な女の子かもしれない。
僕はカエデをぎゅっと握り締めると、意を決してこの質問をしてみた。間抜けに聞こえても構わない。
「あの、あなたは、その、魔女、でしょうか」
「うん、魔女だよ。よく分かったねえ、あ、ほうきか?そんなことはどうでもいいじゃん。早く教えてよ」
ばっちり魔女じゃねえか!手の中でカエデが動揺する感じがする。そりゃ、そうだよな、何と言ったらいいのかまるで見当が付かない。正直に言ったら帰すとは言われたものの、それ以前に殺されそうな予感がある。
僕は目をそむけつつ、手に嫌な汗をかいていた。仕方ない、教えてしまおう。この魔女にもいい教訓になるだろう。
「ぼ、僕達は、死武専という学校の生徒で」
「ほう、学生さんとな」
「で、その学生は、魔女や悪人を殺すことが仕事なんです」
「………………はい?」
「いえ、だから、死武専と魔女は長い間いがみ合ってて、今も一触即発の状態で、」
「酷すぎる!!」
突然、魔女が吠えた。僕に掴みかかりそうな勢いである。気合いでも漏れ出しているのか、魔女の髪の毛がふわっと浮き上がった。空気がビリビリして、僕とカエデはそれに気圧されそうになっている。
「酷い、酷い、酷すぎる!どうしてそんな馬鹿みたいなことで殴られなきゃいけないわけ!?昔の争いが何だってのよ!死武専ってなに、こんちくしょー、いけ好かないわ!私は暴れたいだけなのに!理不尽にもほどがある!」
怒っている。そりゃあもう、分かりやすく怒っている。僕はさっきの嫌な予感が的中した気がしていて、こそこそと逃げ出す準備をしていた。
「じゃあ、僕は、この辺で……」
「待った!」
「!!」
再び手を掴まれる。やけに力が強い。皮が剥けている部分を触られたみたいで、僕は呻いてしまう。ほら、やっぱり、殺されるじゃないか!
『ひ、ヒビキ!』
「ありがとう!」
カエデの悲鳴と同時に、魔女が何か言った。僕は全身で身構えていたので、よく聞き取れなくて、腰を引かせながら魔女の顔を見る。
魔女はまだ若くて、帽子の下からは緑色の目が覗いていた。二つ結びの髪はまだ何かに揺れていて、僕は何だか言葉を失う。
「私はマカっていうんだけどね、死武専の生徒さん、教えてくれてありがとう。約束通り君は見逃してあげる。次に会ったら容赦しない。殴られる前に殺す。じゃ、またね」
にかっと笑ってそんなことを言う。僕から手を離すと、ほうきに乗って、浮き上がり、あっという間に建物を飛び越えてどこかに行ってしまった。
僕達はぽかんとそれを見送るしかない。いつの間にか僕の足の震えが止まっていて、カエデは人間に戻って隣に立っていた。不意に、ギャッと悲鳴を上げる。僕もぎょっとして振り向いた。
「な、今度は何だよ!」
「ヒビキの手血まみれ!私の服に血ィ付いてる!」
わ、ほんとだ。カエデの上着、袖の部分に、僕の手形が這い回ったような血の跡が残っている。あああとカエデは騒ぐが、どうしようもない。
ひとまず宿に戻ることにした。今さっき遭遇したおかしな魔女については、記憶から消すことに決めた。もう会いたくないし、会ったら殺される。とりあえず、手が治るまでは、大人しくしていよう。殺されたくもないけど、殺したくないっていうのが一番の理由だから。
2009:06:18