鬼神をぶっ倒してあの暗い空がなくなったあと、皆はにこにこ笑いながら楽しそうにしていたけど、途中でマカが倒れて、笑いがどっかに飛んでいった。
倒れたマカは返事をしないので俺は一瞬心臓が止まるんじゃないかというくらいぎくりとしたが、目をつぶって息をしていたのでほっとした。他の職人や武器は色々手酷くやられていたので、ひとりだけ無傷の俺は助けを断って、マカを背負って帰った。着いたアパートは家具の中身が散乱していたが、暮らせないレベルではなかったので、ドアを開けて職人を寝かせる。すーすーと、苦しそうでもなくマカは普通に寝ていた。多分過労だろう。俺はやれやれと首を振って苦笑いをしてみせた。無茶をして頑張りすぎるからだ。
そんで、その夜からマカがおかしくなった。















夜になって辺りがまた暗くなってブレアが帰ってきて、ソファーで寝ていたらしい俺は揺り起こされた。ぐらぐらぐらぐら、猫の力は結構強くて俺はソファーから落ちそうになって目が覚める。
「……ソウル君、ソウル君。ちょっと起きて」
「……っは、な、ああ、ブレアか。何だよ」
「うん、まあ、何てことはないんだろうけど、ちょっとね、とりあえず起きて」
ブレアにしては珍しく歯切れが悪い。俺は頭痛に耐えつつ体を起こして、話を聞くことにする。散らかったものは人が通れる程度にしか片付いていなくて、まるで全然知らない場所で寝ていたような気がする。ブレアは俺の肩に手を置くと、いい、と念を押した。
「マカの様子がちょっとおかしい」
「……ああ、途中でぶっ倒れて、だから寝かしてあったんだよ」
「そういうんじゃない。おかしいの。何があったの?」
どくん、と俺の胸はまた痛いくらいに高鳴る。今のブレアは遊びで言っているんじゃない。俺は口の端に笑いを浮かべながら、手を押し返せずにいた。何だ、何だよ。ただの過労じゃないのかよ。どうでもいいことなんだろ?
ブレアは全く笑顔を見せない。表情が緩まない。
「ま、いいや。ソウル君もマカの様子見れば分かることだから。一緒に行ってあげる、おいで」
肩から腕に手が移動して、俺は前に引っ張られた。心臓が変な風に鼓動を打ったまま、何の構えもできずにそれに従ってしまう。荷物を踏みながらマカの部屋の前に立つと、ブレアはノックもせずにドアを開けた
「………………」
暗いままの部屋。ベッドの上には人影があり、もうマカは起きているみたいだった。俺が何なんだとブレアを見ると、猫は無言で電気を点け、どうぞ、と手を前にやった。
もう一度ベッドの上を見ると、マカが背中を向けて座り込んでいた。ふう、と息をついて進んで、ようと声をかける。
「起きたか?変なことするからぶっ倒れるんだよ」
マカは動かない。座ったまま寝ているのかと思って、前に回ろうとすると、体がぐるっと回ってこちらを向いた。思わずギョッとして体をひくと、マカは目を瞬かせながら首を傾げた。
「おーきたっ」
「は?ああ、」
「起きたー起きたー起きた!でも眠いー寝るー、寝る!へへへ!」
はあ?今度は俺が眉をひそめる。こいつ、何言ってんだ。変な喋り方をしている。舌足らずの、こどものような、おかしな、
「……あ、」
ああ。なるほど、そういう、ことか。いつの間にか後ろにブレアが来ていて、俺にしたみたいにマカの肩を掴んだ。ゆっくり声を出す。
「マカ、起きたの?」
「ねーむーいー!やーだ離してー、痛いー」
「寝ちゃう前にちょっといい?あのねマカ、この子、ソウル君、分かる?」
ブレアが真剣な口調で奇妙なことを口走っている。俺はぎくぎくと心臓が動いたままで全然静まらない。マカのその、妙に大きい目が、ちらっとこっちを見て、細まる。すぐに嫌そうに目をそむけると、ブレアの手を振り払って布団にくるまった。
「知んない!そいつやだ!やーだー!」
くるまったままがたがた布団を揺らして、マカは叫ぶ。手を振り払われたブレアはふう、と息を吐いて、ゆっくり立ち上がった。
「いこ、ソウル君。向こうの方が話しやすいでしょ?」
頷いたかどうか定かじゃないが、俺は来た時みたいに手をひかれて、マカの部屋をあとにしていた。頭がぐらぐらして吐き気がする。最初にブレアが言ったみたいに、こんなことどうでもいいことのはずで、何ともない、些細な出来事、のはずなのに、頭がまるでついていかない。
暗いままの居間で、俺はブレアと並んで座った。手はずっと握られたままで、そこだけが妙に熱い。
「ブレアが帰ってきた時にはね、あんなんだったね。やっぱり、何かあったんでしょ?鬼神とかゆう奴に何かやられたの?」
「、あ、いつは、ひとりで、さっさと終わらせた。何もまずい部分なんてない、と思う。俺達の中で一番、強かった」
「そっか。鬼神て奴、やばかったんでしょ?死神が出張るくらいだしね。で、マカはそれとやり合ったんだね。そっか」
ブレアの声は呑気そうで、この事態も簡単に解決するような言い方だったけど、顔に笑顔が全くなかった。俺も、笑える気が全然ない。何だか、あんな調子のマカを見るのが、初めてで、混乱以上に、強い嫌悪感があった。そんなものを抱えている自分が気持ち悪くて、吐き気を必死でこらえる。
「……もど、るかな」
「分かんない」
ブレアはすぐに切り捨てた。俺の手を強く握る。
「どんなんでもさ、マカはマカだよ。ソウル君、逃げちゃ駄目だよ」
「……く、ああ」
俺は喉をひくつかせながら答えた。口を押さえる。無理だ、そんなこと、もう既に逃げ出しているのに。















大きいごたごたのあとは大量の処理が残っているものだ。俺達は最後まで鬼神の前線に関わっていたせいか、その他の色々な作業を免除された。マカの調子が悪かったら、俺はただの武器で、何かを手伝うこともままならない。魂の波長というのは特定の誰かを選んで力を与えるシステムだ。システムの出口がつまってしまったら、電源は意味をなくしてしまう。
マカの状態を他人に知らせるのは抵抗があったので、高熱で寝込んでいるとだけ伝えた。でもそれも三日もたてば通じなくなってしまう。俺はマカがいつ頃、前みたいに戻るのか全く見当が付かないまま、無為に三日間を過ごしていた。ブレアはバイトを休んでずっとアパートにいる。魔法とか、薬とか、色々試しているらしいけど、戻ったあとの体にどんな影響が行くか分からないから、あまり使いたくないと言っていた。
玄関を開けるとがばっ、と誰かが飛び付いてくる。荷物を落としそうになりながらどうにか後ろ手でドアを閉めた。にこにこ楽しそうに笑っているのは、一日部屋で遊んでいたらしいマカである。
「おかえりー!!あはは!今日はねえ、ずっと絵をかいてたよ!ブレアが紙をくれてー、それにいっぱいかいてねえ」
早口でまくしたてる。声は前と変わらないけど、あの日から喋り方が幼くなっていた。体格は変化しないから、抱き付かれると跡が付くくらい力が強い。
マカは、あのあとどういう心境の変化があったのか、目が合った誰かに過剰にスキンシップをはかるようになった。俺がいない間はほとんどずっとブレアの側にいるし、誰もいないと泣き出してしまう。俺はそれを、鬼神に近付きすぎたから、変な影響でも受けたんじゃないか、という風に理由付けたけど、マカは鬼神を倒したはずで、その影響がまだ続いているなんて割に合わない話だった。
マカは勝手に話を続けて、途中で唐突に切る。首を傾げながら、俺から目をそらして、思い出したように呟く。
「うーむ、おっかしぃねえ」
「何が?」
どくん、と俺はマカが喋る度に、奇妙な心臓の揺れを感じていた。吐きそうなほどの胸の高鳴り。
「私はきみがすきじゃないはずなんだよなー、どーしていっしょなんだろうねえ?」
どくん、どくん。
「ねえ?ねーえ?どうして?」
「……さあ、分かんねえ」
俺は表情が凍り付くような感覚を覚えて、心臓を押さえた。首に回り込んでいる手を外して、歪んだ唇で答える。舌が痺れてくるようで、うまく声にできない。
これが鬼神に影響されて、つまりは汚染されてできた人格なのか、それともマカが元々持っていた感情なのか、俺には判別がつかない。いつ治るのか分からない、というのはそれのせいもあって、もしこれが、本来の感情だったら、ずっともう、これから、この言葉が続くのだから。
「ご飯はハンバーグがいいなあっ、ねえ?へへへ!ごっはん!ごっはん!うひひひひ!」
マカは俺から離れると、リビングの方へ走っていった。俺はどくん、と鳴る胸を押さえて、自分の部屋に向かう。マカの部屋は今はもうほとんどブレアの部屋と化していて、前はしなかったにおいで一杯だった。
何もしていないのに妙に疲れた気分になって、俺はベッドに倒れ込みそうになってしまう。駄目だ、俺だって鬼神が倒されるその場にいた。影響を受けていないとは言い切れない。そして、そう考えたらもうそれだけで、体が回りそうな感覚になる。頭を振って体を起こした。まともに食事を作れる人間が俺しかいない。材料があったかは定かじゃないが、とにかく何か作らないとまた泣かれてしまう。
台所に立つと、後ろは妙に静かだった。変わろうが何をしようが、マカの本好きは変わっておらず、リビングでじっと本に向き合っている。
俺は息を吐いて冷蔵庫を見る。ひき肉なんかない。そもそも食材があまりない。マカには悪いがカレーになりそうだった。
「ソーウル君、よっ、ご飯作ってるの?」
後ろからひょこ、とブレアが顔を出す。珍しい。
「離れて大丈夫か?」
「うん。集中しちゃって可愛いよ〜」
ブレアはにこにこ笑っているが、作業を手伝う気はなさそうだった。俺は肩をすくめてみせて、適当に具材を洗う。じゃがいもとタマネギしかない。貧相だった。
皮をむいて切り始める。と、何を考えているのか、刃物を持っているというのにブレアが肩に手を乗せてきた。
「……ソウル君、さっき玄関で何話してた?」
「別に。今日の晩飯はハンバーグにしろって言われただけ」
「それだけ?」
それだけ。俺は頷いて包丁を動かす。ブレアの髪の毛が頭にかかっている。首を振る。しまった、切っているものがタマネギだった。鼻もかゆいが目も染みる。後ろでブレアがにやにや笑っている。
「あー、ソウル君泣いてる〜」
「タマネギ切ってるから」
下手な言い訳だが実際そうだった。眼鏡をかければいいとかいうけど、何をやっても結果は同じだったし、解決策が見当たらない。
不意に。
ぎゅっ、と肩に力が加わった。手を置くだけでは飽きたらず、ブレアが腕を回してきているらしい。
「……あのなあ、今包丁持ってんの、だからさ」
「ソウル君さあ」
人の話を遮って、ブレアが呟いた。耳元で、やけに大きく聞こえる声だ。
「痛いんでしょ?」
どくん、ずくん、ずきん。
「……何が」
「あんまりねえ、我慢しない方がいいよ。嫌なものは嫌なんだしきついことはきついんだよ。笑いたければ笑えばいいしさ、泣きたい時は泣くといいよ」
「は、はは。誰が?」
ブレアはぎゅう、と頭を抱え込むように俺を抱き締める。俺は包丁とタマネギを床に落としそうになって、震える手でどうにか置いた。震え、てる。手だけじゃない。体中ががくがく震えている。後ろから支えてもらっていなかったら倒れてしまうくらい、俺の重心はがったがたになっていた。落ち着こうと思って息を吸う。呼吸が変だ、うまくできない。ついでに声が出ない。
「っは、かはっ、うあ」
「そうだそうだ、泣いちゃえー、ね?タマネギでもいいからさ、ほら、マカは見てないよ、大丈夫だよ」
ずる、と足が滑って、俺は台所の床に座り込んだ。ブレアの体重がかかってきつい。床に手をつくと、はは、笑えるくらい大量の涙が、ぼたぼた床に落ちているのが見えた。まだ、ずっと、呼吸が苦しい。心臓が痛い。さっきから、三日前から、ずっと痛い。
「ふあっ、かはっ、あ、うああ」
「ねえ、痛かったね、きつかったねえ。頑張ったよ、ね?ふふ、大丈夫、絶対よくなるから」
後ろにいる猫の体温が熱い。タマネギなんてどこにもないのにぼろぼろ泣いてしまっている俺。部屋は静かで、呼吸の音しかしない。変わるものが何なのか分からないまま、ここにいる。よくなる確証なんてどこにもない。でも、それを考えていくことしかできない。考えているしかない間は、頭が揺れるのも、心臓が痛いのも、ずっと止まらない。
酷く、眠い。





2009:06:14