「付き合おうよ」
私の声は壁に吸い込まれるようで、相手にも私自身にもまるで聞こえていないみたいだった。いや、そんなのは気のせいで、実際にははっきりと聞こえていたと思う。どこかに消えていくような気がしたのは、私が柄にもなく異常に緊張しているからだった。足が、手が、声が震えている。まるでお姉ちゃんみたいだ。別に失敗することを怖がってるんじゃない、言った内容について怯えている。全く、完全に、無駄なことを言っている。私はどこかおかしくなったのかもしれない。でも限りなく正常だった。いつも通りだ。繰り返す。
「ってか、付き合ってよ、ソウル」
相手の名前が聞き取れない言葉みたいだ。私とお姉ちゃんは発音が汚くて、どっかの訛りに似ているらしいけど、ソウルの発音はおぼっちゃまみたいに綺麗だった。その声が今は何も言わない。私はその場で立ち止まったまま、じっとその顔を見ている。夕日が反射して頭がオレンジ色に光っている。目は濃さを増して、ますますどこを見ているのか分からなくなってる。私はごくん、と喉が鳴りそうになって、口を開けて呼吸した。
「……ぱ、てぃは、キッドが好きなんだと思ってたけど」
「好きだよ」
即答。当たり前だ、迷う必要がない。ソウルは一瞬目を見開く。やっと目が合う。続ける。
「ソウルがマカを好きなのと同じくらい、私はキッド君が好きだよ」
「あ、そ」
「でもソウルは知ってるよね?」
ずい、と一歩前に踏み出す。ソウルは逃げない。やばい、早口になりそうだ。緊張してる。今から言う台詞が、合っていようが間違っていようが、とになく言いたくないから。
「それが絶対に叶わないってこと。私がキッド君を好きなのと同じくらい、どうしようもなく認められないんだよ。これは絶対だよ、絶対にそうだ」
「…………」
「そうだよね?合ってるでしょ?ついでに、私と付き合ってもいいって思ってる。これも絶対だ」
「…………」
黙んないでよ。癖で襟元をねじり上げそうになってしまうけど、拳を丸めて我慢。ソウルの身長は、私と同じくらいで、キッド君よりちょっと高くて、マカよりも少し高い。今にも頭突きができそうなくらいに、距離をつめる。
「ねえ、そうだよね。分かるんだよ、誤魔化すな」
「…………ああ、そうかもな」
「分かった?」
「最初から分かってるよ」
はあ、とため息をつきやがる。私はにかっと笑って、距離をつめたままソウルの肩を掴み、ぐいっと、歯が当たるんじゃないかという勢いで、思いっ切りキスしてやった。すぐに離れる。ソウルは目を丸めて息を荒くする。
「んなっ、なっ、にすんだよ!」
「いやー、付き合ってもらえそうだからね!印だよ、し・る・し!もしかして初めてだった?」
「そ、そういうのとは何も関係ねえだろうが!」
「きゃはははは!じゃー明日、またね!」
焦ってるのか怒っているのか分からない。でも私を追いかけてはこない。私はにやにや笑いながら、とっとと死武専から離れることにした。全く、何やってんだろ。誰もいない教室で愛の告白かよ、ばっかみたい。
そういえば、ソウルはマカとキスとかしたのかな。してなかったら、私がマカから奪っちゃったことになるけど、どうなんだろ。あんま関係ないか。















死刑台邸に戻ってくると、お姉ちゃんが広いリビングでひとり座っていた。住んでいる人数の割に、この家は広すぎる。
「お帰り。何してたんだよ」
お姉ちゃんは着替えもしないで、ぼうっと座っていたらしい。私は帽子をくるくる回しながら、うーんと首をひねった。言うべきか、言わなくてもいいことなのか。私隠し事できないからなー、さっさと言っちゃおう。
「ソウルに告ってた」
「へええ……ってはあああ!?な、ちょ、ちょっと待った、今何て言った!?」
「だからソウルに告ったんだよ。多分オッケーだからカップル成立だね!ぶい!」
私は呑気に指を突き出してみせる。お姉ちゃんはその指を掴んで、何が不思議なのか、随分慌てた声を出している。
「え、え、いや、別にいいんだけどさ、あれ、お前、ソウルのことなんて好きだったんだ」
「うん、好きだよ」
嘘だけど。
「実は初対面から好きだったね!」
「初対面って、キッドが前髪切られたあれか?」
「そうそう!」
嘘だけどね。ごめんねお姉ちゃん。
「そ、そっか。何だかお姉ちゃんは微妙な気持ちだけど、パティが納得してるんならそれでいいよ」
「何で微妙なの?お姉ちゃんもソウルが好きとか?」
「そんなわけないだろ!あ、いや、そういう好きじゃなくてだな、パティもこうさ、好きとか付き合うとかするんだなって思っちゃってさ」
「するよー」
えへへ、と笑ってみる。お姉ちゃんは笑顔連発に何か思うところでもあったのか、とりあえず焦ることはなくなったみたいで、私の指を離してくれた。そのまま手を振って、自分の部屋に帰ることにする。
散らかってものが多い部屋だ。ベッドの部分でさえ、寝られる場所が少ない。そこに倒れ込んで、むううと唸ってみる。固まりそうだった顔の筋肉を手で動かして、口の端を吊り上げる。
「わーたーしーはー、そーるがー、好きー」
言ってみても全然実感が沸かない。実感も何も、最初から思っていないんだから沸くはずがないか。じゃあ誰が好きなんだろう。お姉ちゃん、キッド君、マカ、椿、ブラックスター。皆好きだな、嫌いじゃない。何が何だか分かんなくなってきた。
目を閉じる。私はすぐ眠れるみたいで、しかも寝たら中々起きない。あと飽きっぽいし楽しいことが好きだ。楽しいことって何だろ、キッド君の武器でいるのは、今はとても楽しい。学校の子達と話すのも結構楽しい。でもいつか飽きるんだろうなって思ってるのが怖いし、つまらない。
あー、駄目だ。駄目駄目駄目。変なこと考えてたら駄目だ。寝よう。ご飯まで寝てようっと。















「……パティ、パティ」
見た夢は最悪で、私は巨大な動物の首から必死で逃げていた。しかも逃げても逃げても場所は変わらないし、追い付かれるし、最終的には食われて胃の中でも逃げていた。いつ溶かされるのか分からなくて、私はずっと叫んでいた。叫ぶなんていつぶりだろ、しかも怖くて叫ぶなんて。
「パティ。いつまで寝ている。食事をとらないつもりか、きっちりしろ」
「……うあっ!!」
びっくりした、何だ、今まで外でふつぶつ言ってたのってキッド君だったんだ!お姉ちゃんなら入ってくるし当たり前か。服そのままで寝ていたから妙な寒気がする。でも寝てらんない、飛び起きてドアを開ける。
「起きてるよっ!ご飯食べるよー!」
「ごはっ!開けるなら開けるとひと言言え!頭が割れるところだった!」
「うへへ、ごみーんにっ!」
キッド君はドアから遠ざって壁に背を付けている。私はドアを全開にして、敬礼のポーズを作った。うひひ、あはは。面白いことなんて何もないけど、私は笑顔を作るしかできないんだ。不器用だから。
キッド君はいつものきっちりシャツを着て、そうか、とかって呟いて、「早く来いよ、冷めてしまうからな」としっかり忠告までして、元来た道を戻っていった。私はキッド君が見えなくなるまで陽気に手を振って、腕を下ろした。それからすぐに、自分が物凄く緊張していたことに気付く。何だこれ、心臓が凄い音を立てている。動く早さが半端じゃない。しかも止まってくれない。
ずりずり部屋まで戻って、開けたままのドアにすがりつく。目の前がよく見えなくなってる。今は、ドアノブしか見えなくて、しかも色が白黒になっちゃってる。何で?どうして?起きてキッド君に挨拶しただけだよ?ほら、今からご飯食べに行くんだから、しっかりしてよ!
「うへ、うへへへ、あはははは……」
笑ってみる。目玉を大きく開いてるみたいだ。しかも閉じられない。自分の姿を想像してみる。何やってんだよ格好悪いよ!
ふん、と足に力を入れて立ち上がる。立てた。平気。前も見えるしお腹も減ってる。いつもと全然変わらない。やっぱ昼寝って駄目なのかなー、嫌な夢見るっていうしなあ。
考えない、考えない。何も影響してないし私は笑ってなきゃいけないし今はご飯を食べなきゃいけないんだ!面倒なことなんて考えたくない、全部どっかに消えちゃうといい。















しまった、と思ったのは私に全然連絡手段がないことで、それがまずいなって気付いたのも随分遅かった。全部とにかく唐突だった。本人の顔を見て、何か伝えなきゃいけないことが分かったっていう、のろまっぷりだった。
授業が終わると教室から人がどんどん消えてしまう。ご飯を食べに行ったり、午後から課外授業だったり、そのまま帰ってこなかったりする。私はたまに課外授業があるけど(キッド君は死神だから、お父さんから直接言い付けられることが多いみたいだ)、大体はサボんないで教室に戻ってくる。何というか、こういうのって楽しいから。面白いことは好きだし。
で、何かっていうと、授業が終わって、マカ達と一緒に階段を降りてる時に、ソウルと真っ正面から目が合ったから、ちょっと思い出したことがあったんだ。
「お、おお、おおおおお〜」
「な、どしたパティ、腹でも痛いか?」
お姉ちゃんがぎょっとして声をかけてくるけど、あいにくそんなんじゃない。マカを後ろにして退屈そうにしているソウルの手を掴む。
「っだ!何だよ!」
「ちょっとおいでー!遊ぼっ!」
「遊ぶって今から昼め……」
抵抗するソウルと、ぽかんとしたまま動かない回りの人達を置いて、私はずかずかと教室を出ていった。ちらっとマカに目を向けると、マカは何でもない顔でぼうっとしてる。思いっ切り笑うと、笑ってくれた。
引っ張って引きずって、中庭を抜けたところの裏口まで来る。ここは教室より、あの牢屋みたいな職員室の方に近い出入口だから、使う人がめっちゃ少なくて静かで暗い。
ソウルも一緒に座らせて、私は声を低める。ソウルはまたキスされんのかと思ってるみたいで頭を引いてるけど、別にそこまでくっ付きたいわけじゃない。
「ねえ、言った?」
「言ったって、何をだよ」
「マカにだよ、彼女ができたんだぜーって、言った?」
「言うわけねえだろ」
「何で?」
「何でってな……そこまで何もかも話す必要ねえし」
もっともらしいことを顔を背けながら言わないで欲しい。ソウルはまだ期待してる。心の奥の方で、前提が全部ひっくり返ることを期待してる。私と同じだ。でも、私とは違う。
「私はお姉ちゃんに言ったよ」
「げ、道理で朝からよく目が合うと思った」
「お姉ちゃんは心配性なんだよねー、そうだそうだ、それからもひとつ聞きたいんだ」
は?とソウルはふ抜けた声を出した。その、いかにも興味ありません、みたいな言い方はやめて欲しいな。こっちは真剣なんだしさ。
「カップルってさ、何すんの?」
「はああああ?」
「武器と職人なら分かりやすいけどさー、いまいちよく分かんない。ずっとくっ付いてればいいの?でもそれは無理だよなー、お姉ちゃんも、キッド君もマカもいるしなあ」
「お前な……」
ソウルは呆れた顔で大きくため息をついた。何だよその顔、私のこと馬鹿だと思ってるだろ。
「分かってないのに付き合おうとかって言ったわけ?」
「ソウルは知ってんの?」
「いや、だからさあ、適当に何か言うのはよくないっつうか、やっぱちゃんと気持ちがしっかりしてないと駄目っつうか」
「エッチするってこと?」
ぶはっ、とソウルは大袈裟に咳き込んだ。げほげほと喉を鳴らしながら、腰を浮かせて私を見る。私は膝を抱えてその場から動かない。
「な、ななななな、おまっ、何言ってんだよ!!」
「そういうことじゃないの?」
「話が極端なんだよ!どういう流れからそう展開すんだ!」
「だってー、くっ付いてるってそういうことじゃん」
「お前の常識は何かおかしい!」
「まーまーソウル」
私は笑いながらソウルの肩をぽんぽん叩いた。そういえば、ソウルは驚くか無表情になるだけで、笑うってことをあまりしない。私とは正反対だ。
「したくなったら相手したげるよ。彼氏さんだからお金はいらないぜっ!」
「金とんのかよ!」
「あはははは!だいじょーぶ!とりあえずさ、言うこと言ったらしよーよ」
「言うってな……」
「まだ迷ってんの?まー、私もお姉ちゃんにしか言ってないしなー、ソウルのこと馬鹿にできないか」
ソウルは答えないでうつむいたままだ。その頭は白髪で一杯で、赤い目玉よりもずっと違和感を覚える。そうか、キッド君は黒いしな。だからかもしれない。ごしゃごしゃと手でかき回すと、乱暴に振り払われる。でもすぐに落ち着いた動きになって、意味分かんねえと繰り返した。私は思いっ切り笑う。マカにも見せた。こういう顔は得意なんだ。
「あはは!まあさ、じっくりやってこーぜ!どうにもなんなかったら楽しもうよ!」
「パティが言うと洒落じゃなく聞こえるんだけど……」
「あっ、お昼!ご飯ご飯!食べないとなくなっちゃうよ!戻ろー戻ろー」
ぶつぶつ言い続けるソウルの腕を引っ張って立ち上がらせると、私はまた元来た道を戻っていった。ソウルは二回目で速度に慣れたのか、さっきみたいにあたふたする様子はない。教室にはもういないだろうから食堂だ。早く食べないと昼休みが終わっちゃうし。
「よーっすういーっす!ただいま!」
食堂に着くと、案の定チームで固まって食べていた。ブラックスターはいないけど、他の人は皆いる。マカはもう食べ終わったみたいで、私と、後ろに引きずられているソウルに順番に視線を動かす。私はぱっと手を離した。いけないいけない。
「どこ行ってたの?そろそろ終わっちゃうよ」
「うへへ、中庭で砂遊びしてた!」
「全く……手ェ洗ったんだろうな?何でわざわざあんなところなんだ。もっといい場所あるだろ」
「楽しかったよー!手は洗った!ソウルも洗ってた!」
「分かった分かった、さっさと取ってきな」
お姉ちゃんは本当に、何が心配なのか分からなくなってくるくらい、心配性だ。何もしてないよー、と手を振ってみたけど分かってるかな。後ろで黙ってたソウルに至っては、「飯いらねー」とかってガキみたいなことを言って、食堂から出ていってしまった。これじゃあまるで私が酷いことしたみたいじゃん、皆揃ってわけ分かんないよ。きちんと理解してる部分なんて持ってるわけ?















そこから一週間。
私は何もしなかった。あ、いや、別に一日中寝て過ごしていたとかそういう意味じゃない。課外授業は何個もやったし学校にも行ったしご飯だって食べた。
ただソウルとは何もしなかった。手も繋がないし抱き締めたり抱き締められたり、チューすることもそれ以上もなかった。理由はまあ、お互いにわざわざ別口で会おうとする気概がないのと、私自身、過剰にベタベタしだしたら止まらなくなるような気がしてるからだ。ヨッキューフマンというやつかな、誰でもいいような、よくないような。
ソウルも私も何も進めようとしてない。ソウルはいまだにマカに黙ったままだし、私もキッド君に言う必要性と勇気を見付けられないまま、一週間が過ぎた。他のこと考えながらでも魂は取れるし(私は武器で使われるだけだから)、キッド君は人の考えてることが分かるような、そんな魂何たら能力は持ってないみたいだから。
「何か埒が明かないねえ」
「どういう意味だよ」
ほんと、このままだらだらしていても意味がないと思うので、終わりに何もない放課後、私はソウルを拉致った。ちょいちょい、と手を振って、また中庭に連れていく。さすがに腕を引っ張ってどうの、という時期は終わった、と思う。ソウルも大人しくついてくるようになったし。
「何つーか、すっきりしない」
「お前の言うすっきりが俺には分からない」
「だからー、何でまだぐじぐじ情けなく現状にしがみついてんのかってことだよ。お互い、ばっちりしっかりフラれてこよーぜ」
「どんな組み合わせだよ……フラれるために一緒にいるってか」
私がビッ、と親指を突き出してみせると、ソウルは苦い顔をした。うまい提案をするわけでもない癖に、文句だけは立派だな、こいつは。
「そうじゃないの?で、フラれたら慰めてくれる、みたいなー」
「あのなあ……よく考えてみろ、仮にさ、俺がマカを好きだとして、」
「むっ、え、好きじゃないんだ?ラブラブ〜かと思ってたのに」
「お前の思い込みだよ。で、だとして、俺が何かしたら、もしかしたら魂の波長が合わなくなるかもしんねえだろ。そうなったら一大事じゃねえかよ」
「は?」
何言ってるんだこいつは?
私は理解ができなくて、首をかくん、と曲げて聞き返した。
「どーゆう意味?」
「は?だから、まんまだよ。告って失敗したら、波長が合わなくなるかもしれなくて、そしたらパートナー解消じゃん」
「だから何もやんないの?」
と、私の問いに、ソウルは緩く頷いた。頷いた。頷きやがった。
私はぐぐぐ、と頭が痛くなるような気分を味わう。ていうか実際に痛い。抱えてる膝に額を押し付けて、暴れないように全身を押さえる。目の前がクラクラするしチカチカしてる。目が痛い、熱い。あんま体験しないことだけど苛ついて怒って泣きそうなんだ、多分。
声がひくひく震えている。どっかの緊張とは違う意味で、うまく喋れない。だから喋らない。ちょっと待つ。
何だよ、職人と武器の関係が壊れるって何だよ、意味分かんねーよ、そんなことが怖いなよ。
分かってる、けど分かんない。私は別に、キッド君の武器じゃなくなることなんて怖くない。私が使えなくなるってことは、お姉ちゃんも使えなくなるってことだし、死神で人間じゃないキッド君が、人の気持ちも考えないでばっさり私をフったところで、魂が揺れるなんて全然思えない。私だってきっと平気だ。変わるもんなんて何もない。
でもそれはソウルには当てはまんないことらしい。こいつは、まあ最初からずっとそうだけど、パートナー関係を崩したくないっていうのが一番最初に来てる。好き嫌いじゃなくて武器か職人かで見てる。だから進めないし退けない。ずっとそこにいるしかない。そんで酷いことに、自分が望んでいることを、マカも望んでいる、と思ってる。そう話してもいる。
苛々する。今すぐこいつを殴りたくなってくる。殴って蹴飛ばして引っ張ってマカのとこまで連れてって、全部話してやりたい気分にさせられる。
「……は、ははは、あはははは!何それ、ばっかみたい、つーか阿呆だよ、崖から飛び降りて死んじゃえよ」
「死ぬかよこんなんで」
「じゃー何だったら死ぬんだよ!!」
頭ん中がぶちっと切れた音がする。一気に沸点が下がって、私はソウルの襟を掴んで地面に押し倒してた。馬乗りになる。体格の違いがあっても、上に乗られたら中々抵抗できない。ソウルは私の手首を掴むけど、そんなんじゃ全然外れない、意味がない。教室だったら誰か止めたかもしれないけど、ここは残念ながら中庭の死角だ。まあ、誰に見られてようがやめる気なんてない、頭に来る。
「お前ほんとに何なんだよ、何様だよ!自分が一番だと思ってんじゃねえよ!あんたなんか、あんたなんか、あーもう、駄目だ、もうむかつくしか出てこない」
「重い、どけって」
「どかない、誰がどくか。ソウルが家に帰って、言うこと言うって誓ったらどいてやる」
「言わない、けどどけ」
何だこいつ!全然話になってない。私は頭の中では大量にあった「してやりたいこと」が全部どっかにいっちゃって、口にすると全く喋れなくなっていたので、それ以上うまいことも言えない。元々きっちり言葉で説明するなんてことは苦手なんだ、得意じゃない。どんどん尻すぼみになっていくのが分かる。
なので、地面に倒れたままなのをいいことに、私はソウルの襟から手を離して、代わりに腕を押さえた。間を空けずに額をゴチッとぶつけてやる。私も痛いけどソウルは不意打ちだからもっと驚いたはずだ。いてえとか言ってる間に、私はぐいっとソウルの唇を奪う。そうだ、奪うって言い方が正しい。だってこいつ、多分マカとしかしたくないんだろうから。
「!……ぅぐっ……!!」
悲鳴っぽい漏れた声が私の口の中で響く。今回は前みたいにすぐ離してやらない。顔を振って逃げようとするけど逃がさない。舌で中を割ってぐるぐる舐める。抵抗でもしようものなら手で口をこじ開けてやろうとも思ったけど、そんなことしなくて勝手に開いてくれた。ごそごそ動く手と足と体。私はそれを押さえ付けてるけど何だか妙な気持ちになる。昔、お姉ちゃんと遊んでた時に、布団をかぶせて馬乗りになったことがあったけど、それと同じだ。中から出てきた時お姉ちゃんは涙目で息を荒げてた。ソウルは泣いてはいないけど必死で動いてる。ぞくっとする。止まらなくなるっていうのはこういうことだと思う。
ちょっと顔を上げて、泣いてるかどうか確認する。慣れてないのか、ソウルは息を切らしてぜえぜえ言ってる。口と口の間によだれがダラーッてひいてて、気持ち悪いけど何だか楽しい気分になる。
「やっ、めろって馬鹿!」
「やめない。誰がやめるかばーか」
とは言いつつ、手が塞がってるからどうすることもできない。口だけだ。でもここで終わっちゃうなんて勿体ない。何か、もっと、面白い、ことが、起きればいいのに!



「ぱ、パティ……?」



呼ばれてとっさに振り向いた。誰の声だろうと思う。お姉ちゃんかなと考えたけど全然違うそれよりずっと高い声。足の下にいるソウルが凍り付いている。私はついでに笑顔で固まってみた。
「そんなところで何やってんの?」
すげー、ソウル、君の大事な職人さんにばっちり見られちゃったみたいだぜ、どうする?















「あはっ、あはははは!やっほーマカ!何やってんの珍しいね!」
どうするもこうするもない。私は跳ね起きてソウルを蹴散らす勢いでその場から離れた。視界の端の方でソウルがよろよろ体を起こしてるみたいだけど、気にとめてる余裕がない。顔はにっこにこさせてても心臓がバクバクいってる。私、どうやらソウルのことなかれ主義がうつったみたいだ。
「う、うん、ちらっと見えたから……」
「そうなの?マカはもう帰っちゃうの?」
「うん、本も返したから。パティはまだ残るの」
「私も用事ないから帰るよ!じゃーねー、またねっ!」
脱兎。押して駄目ならもっと押せだ。私はべらべら一方的に喋って、マカがうんと頷いてる間に後ろも振り返らずに走った。久々に全力で走った。死武専の階段を降り切ったあとにやっと止まる。足がガクガクしていた。これは疲れだと思う、緊張は消えている。
ぜえぜえ呼吸を繰り返しながら、私はにやっと笑ってみた。いいざまだ、ソウル。どこまでマカが見たんだか知らないけどソウルの動揺は相当だった。しかも私がひとりで逃げてきちゃったから今頃ひとりでマカと向き合ってることだろう。帰りも同じだし家も同じ。無駄な気ィ遣いのソウルのことだから、言わなくてもいいことまでベラベラ喋ってるかもしれない。私が悪者になってるのか、存在が消えてるかのどっちかだろうな。明日が楽しみだ。
でもまさかマカが出てくるとは思わなかった。来なかったら完全に最後までやっちゃってたような予感がする。何かどんだけ、って思うけど、中断されたし忘れることにしよう。口をごしごし拭う。
死刑台邸に戻る。中は暗い。やけに静かだった。あれ、まか誰もいないとか?私より先にお姉ちゃんとキッド君が帰ってきてるはずで、それ以前にハウスキーパーの人達がいないなんてめちゃくちゃ珍しい。入っちゃいけない日なんだろうか。じゃあ今日はどこで寝ればいいんだ?もうここが私の家なのに。あれ、何だろ、何考えてんだろ。
「おねーちゃーん」
リビングにもダイニングにも二階にも誰もいない。呼んでも答えないし声が響くだけだ。でもここはただの家で、どっかの広い城じゃないし、そんな、誰もいないなんてあるはずがない。部屋をぐるぐる回って元の玄関に戻ってきて、私は床にぼすんと座った。
「キッドくーん」
答えない。当たり前か。この家って左右対象に出来てるから窓の位置が偏ってて、玄関は凄く暗い。その暗い中でひとりで座って、しかも膝を抱えて人の名前を呼んでるなんて、私はどんな子なんだろう。
「捨てられちゃったのかなー……」
ぼそっと、勝手に声が出る。気が付くと喋ってるし笑ってる。うへへ、と口を曲げてみる。
「ソウルに酷いこと言ったから、皆いなくなっちゃったのかな?」
いや、違う。分かってる。そんなこと誰も知ってるはずがない。マカくらいしか知ってそうな人がいない。でもマカの家はここじゃないし、まだ家に着いてもいないはずだ。じゃあ一体何なんだ?私は何がしたいんだ?探せばいいじゃないか、膝を抱えてないで、もっかい外に出ていけば済む話だろ!
私は膝に頭を乗せる。今日この格好をするのは二回目だ。でも今は全然怒ってない。よく分かんないけど体が動かないんだ。目の前の扉が開かないのが悲しいし、誰もいないダイニングに座っているのが嫌だし、自分の部屋にも行きたくない。
分かってる。けど分かんない。私はあんだけソウルに怒ってむかついて押し倒したりほっといたりしたけど、いまだにどっかの部分がソウルを羨ましがっている。簡単なところだ、あいつは今日、家に帰れば誰かいる。今の私みたいに、ひとりじゃない。それは他の人達も多分一緒で、パートナーって制度の一番ましなところだと思う。じゃあ何でひとりでいることが寂しいんだ?辛いんだ?嫌なんだ?
「おねーちゃーん、キッドくーん、もう嘘言わないからさー、出てきなよー。怖い映画も見ないし部屋もきちんと片付けるよ。ご飯綺麗に食べるしポーズの練習もするよ。だから隠れんぼはやめなよう……」
何言ってんだ私は、こんなこと言ったって意味ないし空しいし馬鹿みたいだってば。ぐいぐい頭を振る。ちっくしょう、ほんとにソウルが羨ましい。あいつはピンチの時に駆け付けてくれる職人様がいるけど、どうして私の周りにはそんな人がいないんだよ!
「……ちっくしょう、馬鹿馬鹿馬鹿、帰ってこいよバカヤロー!!」
「……酷い言い草だな」
ふえ?
ばっと顔を上げる。目が暗さに慣れてるみたいで、暗い中でも誰がいるんだかすぐに分かる。キッド君。
「どうした、そんなところに座り込んで。今日は買い出しの日だと言っただろう、パティがいないから大変な目に遭ったんだぞ、人数が奇数だから袋を持つ手がわけ分からんことになってだな」
「おかえりっ!」
そうだったそんな日もあったな忘れてた。そういえばお姉ちゃんがやけにちらちら見てくるなあと思ったっけ。いつものことだから気にしてなかった。じゃー私だけ楽しちゃったのか、今頃裏口から荷物を運んでるんだろうな、家の中にようやく明かりが灯る。
がばっとキッド君に抱き付く。キッド君は両手に沢山荷物を抱えているから、逃げることも抵抗することもない。一瞬バランスを崩しかけるけどそれだけで、特に照れたりもしないいつも通りの姿。
「わっ、何だお前。まさかひとりで酒でも飲んでたのか?」
「違うよう、別に理由はないよ、ちょっと嬉しいなあって思ってさ!」
ぎゅうぎゅう腕を回す。鎖骨の辺りにキッド君の髪の毛がかすってくすぐったい。やば、下手するとゲラゲラ笑い出したあげく、馬鹿みたいに何でも喋っちゃいそうだ。言っちゃう?言っちゃおっか?実は私はキッド君が好きででもソウルともチュウしちゃってそれをマカに見られちゃってお姉ちゃんにも怒られそうなんだって、言っちゃおうか?



言う?
言うの?
……言えば!



「あははははあのさあ!実は私」
「本当に様子がおかしいな。風邪でもひいたか?人間は熱でおかしくなるんだから、さっさと寝ろよ」
「私わたしわたしはっ!」
「どうした?」
声がつまる。柄にもなく緊張してる。キッド君は全然変わってなくてほんとにいつものままで、荷物を下ろすこともないし体を動かすこともない。私だけひとりで突っ走ってさっきのテンションのままで叫び出しそうになってる。急にソウルの言ってたことを思い出した。壊したくない、怖い、何も言わない。ばっかみたいって切り捨てたけど、私の中にもそんな感覚が残ってるみたいでもうどうしようもない。額と背中に変な汗がだらだら流れてる気がする。瞳孔が開いて目の前が真っ白になって視界が狭くなって何も見えなくなる。
「わたしはっ……わたし……いや、うん、うへへへ、あははははは!何でもない!忘れちゃった!キッド君酷いよう、何で置いてくんだよう」
「置いてったつもりはない。パティが来なかっただけだ。俺はきっちり声をかけたぞ」
「そんだけじゃ分かんないよー」
ふへへ、と顔を緩めて、ついでに腕も緩めた。キッド君の髪の毛に変な癖がついてる。鼻もちょっと赤いけど、本人に気付いた様子はない。さっさと私を避けて、大荷物のままキッチンに向かう。多分これから夜中までかかって掃除するんだろう、風邪ひいたことにして逃げよっと。
「あ、パティ!お前どこ行ってたんだ?キッドがぶつぶつわめいてたんだからな」
「お姉ちゃん」
キッド君と入れ替わりでお姉ちゃんがやってくる。荷物を持たされたのは確かみたいで、腕に赤い跡が付いていた。私が言い訳というか何かを喋ろうとしたとたん、目を見開いてずかずかとこっちに近寄ってくる。両手で肩を押さえられた。え、何だよ、買い物手伝わなかったのってそんなに悪いこと?
「え、えへへ、ごめんなさい、次は手伝うからー」
「どうしたんだよお前、そんなに嫌なことあったのか?聞いてやるから言いなさい!」
「へ?」
がくがく揺さぶられた。何かと思うとお姉ちゃんが心配そうな顔で私を見ている。
「何で?何もないよ?」
「へっ?あ、いや、そうなのか?それならいいけど……」
「心配性だなー、何もしてないって!怪我もしてないし!学校行って帰ってきただけだってば!」
お姉ちゃんはあからさまにほっとした顔になる。手を離してくれた。掴まれた部分がずきずきする。
「そっか、いや、いやさ、パティが泣いてるの久しぶりに見たから驚いちゃって。何もないならよかったよ」
あらま。
今度は私がびっくりする。目と頬をこすると、確かに濡れていて、どうやら泣いていたらしいことが分かる。う、てことはあれか、私はキッド君の頭の上でボロボロ泣いてたのか?だからキッド君は風邪とか熱とか言ってたのかな?あっちゃー、やっちまった。かっこわりー。自分で泣いてるのに気が付かないとか、ほんとどんだけ馬鹿なんだろ、いや、馬鹿だけど。
「全然分かんなかった。お姉ちゃんよく分かったねえ」
「誰でも分かるよ!全く、ソウルと何かあったのかと思うだろ」
それは随分面白い勘違いだ。私はぶくくく笑いながら訂正する。
「何もないなあ。どっちかって言えば、ソウルの方が大泣きかもよ」
「へー……ってはあ!?ちょ、ちょっとパティ、お前学校で何やってきたんだ!」
「だから何もしてないってば!」
さっきまでの姉っぽさはどこにいっちゃったのか、お姉ちゃんはあたふたとその場で動き回る。私はさっさとそこから逃げて、自分の部屋に向かうことにした。動ける、さっきみたいに固まってたりしない。色んなことがどうでもよくなってくる。全く皆揃って鈍感で臆病で前に進もうとしないんだから、笑っちゃうよ。















私は結構うきうきした気分で次の日学校に行ったんだけど、あいにくマカもソウルも朝っぱらから課外授業なんてものに出てて会えなかった。昨日の今日でソウルはどうしたもんかなーって思ってたけど、いそいそと出かけていくんだから、あんだけ怖がってた魂の波長がどうたらってのは大丈夫だったらしい。つうかそうみたい。そうじゃなくてもどうでもいいけど。あんま関係ないし。
とりあえず、帰ってきたんなら話でも聞きに行こうかなって思う。フラれた時に慰めようって同盟は、私はまだ組んでるつもりだから。向こうがどう思ってようが関係ないかな。何にせよ全部一方通行なことには変わりがない。その状態を続けていきたいなんて考えてる奴ら同士で、適当に仲よくしてればそれでいいじゃん。分かりやすい話だね、ほんとに。





2009:05:29