マカは馬鹿じゃないが、時たま何でもない時期に風邪をひく。俺はそれを頭を使いすぎた反動と、体をめちゃくちゃに動かしているショックから来るものだと踏んでいるので、うつされる心配は全くしていない。俺は使われる立場だから、そういう気苦労とはほとんど無縁なのだ。
「三十八度五分ね。ま、今日一日は大人しくしてろよ」
「…………」
マカから差し出された体温計は、いつも通りの高熱を示していた。マカは口をぱくぱく動かす。声が出にくいらしい。掠れた呼吸音みたいなのが聞こえる。
「……が……っ……い……」
「学校?行くけど。なに、家残って世話してた方がいい?」
「……い……だ……っ……」
「馬鹿は学校行ってろ?知ってるよ。帰ってくるまでは大人しくしてろよ」
面白いことだが、マカの声がどれだけ掠れて単語にすらならなくても、俺はマカと会話をすることができた。言っている意味が大体分かるのだ。これも魂の共鳴ってやつに入るのかは分からないが、便利な付属品であることには違いがない。
最後の言葉には返事をせず、マカはふらふら手を振った。とっとと出てけとかそんな感じだろう。俺は適当に振り返すと、まだ寝ている猫もついでに置き去りにして、アパートを出ていった。
「あれぇ、ソウル、マカはぁ?」
死武専への長い階段を昇りきると、そこにはキッド組がいて、珍しくパティーがマカの不在に気付いた。そのまま横を並んで歩く。
「熱出してうちで寝てる」
「あっらまー」
「お前が学校出てきちゃって大丈夫なのか?休むってことはマカ、相当熱高いんだろ?」
「平気平気、よくある話だから」
そんなもんかね、とリズは首を振る。ひとり集団の前にいたキッドはちら、とこちらを見ただけで、振り返ることも話しかけることもない。と言っても、どうせクラスは同じなのだ。今日一日一緒にいれば、嫌でも話す機会があるだろう。
「あら、ソウル君、マカちゃんは?」
「ビョーキ」
「ソウルー、マカは?」
「熱」
「あれ、マカは休みですか」
「風邪です」
「おいソウル、マカは一緒じゃねえのか」
「サボりだよ」
学校に着いて、休み時間の度にこれである。まるで俺の名前とセットのように、会う奴会う奴マカのことを聞いてくる。あまりに鬱陶しいので、最後のデスサイズには嘘をついた。風邪だとか言ったら確実に部屋まで押しかけて面倒なことになるだろうから。
確かに何故かいつも、俺とマカは一緒に行動している。職人と武器で、帰る場所が同じなら仕方がないことなのかもしれないが、これはさすがに面倒くさい。明日辺り熱がひくと思うから、その時にでも別行動を打診しよう。同じ相手とばっかり付き合っていると、いざという時駄目になる気がする。それこそ、生死をかけた「いざ」って時だ。そんなことが実際に起こりうるのだから、全く死武専ってのは馬鹿げた組織である。
「おいソウル、お前とっとと帰れば」
昼食後の授業、いつもだったら寝ているブラックスターが、珍しくこちらに話しかけてくる。しかもその内容が酷い。朝から今までにかけて、俺はこの学校にいる全員から嫌われているんじゃないかという被害妄想を組み立ててきたが、妄想じゃないかと思ってしまったくらいだ。
「何でだよ、ちょっと帰んなくても死なねえよ、風邪だし」
「違う違う。見た目が悪いんだよな、お前ら。片方だと」
「見た目ってな……」
うんざりと眉を寄せると、隣の大物は素知らぬ顔でぐるぐるペンを回した。
「見た目がよくねえし、職人がいねえと、お前って駄目になる方の武器だろ?」
「意味分かんねえ」
「とっとと帰った方が身のためってやつだな、俺様が言ってんだから間違いはない」
そんなことを大真面目に言って、まるで違和感がない。その大物っぷりに、俺は無条件で頷いてしまいそうになるが、ここで頷いたら自分に価値がないことを認めることになってしまう。別に、今更マカの方が評価が高くとも、当たり前のことで反論する気にはならないが、それでもやる気に関わる問題である。俺は嫌だと首を振らなければならない、嫌でも。
言いたいだけ言って、ブラックスターはさっさと眠ってしまった。俺はひとり残されてうんうん唸るはめになる。ブラックスターの横で、同じく武器の椿が真面目に授業を受けているが、椿と俺で決定的に違うのは、椿は学校を休んで看病するだろうなという点である。まあそもそもの話、他の職人は風邪なんてひきそうにないけど。
マカだってそうだ。疲れているかもしれないけど、それは大抵次の日には治っている。もしくはそう見せかけている、支障がない程度には。調子が悪い日は今日みたいに思いっ切りそうと分かるので大人しくしているし、やっぱり次の日に下がっていることが多い。俺が風邪をひく時とは大違いだ。
ついでに本音を言おうか。俺が家に帰りたくないのは、弱っているマカというのが好きじゃないからだ。普段あれだけ偉そうに、自信たっぷりに行動している奴が、声を枯らして顔を赤くして動けないでいるなんて、何だか居心地が悪い。帰らないとマカはまたうんうん唸るし、看病してもらっているのはお互い様だから、このままどこかに消えるなんてことはしないけど、ゆっくり帰るくらいの自由は与えて欲しいものである。
静かな家、暗い部屋。誰かが病気だと大抵こうだ。俺は声も上げずに鍵を開けて、がらんとしたリビングを通り抜けて、自分の部屋に向かう。自分の部屋も何も、まるで俺しかいないような静けさだけど、このアパートにはもうひとりいるはずだ。さて、と上着を脱いで、マカの部屋に行く。
一応ノックをする。当たり前のように返事はない。静けさ、静まり、静寂。俺はにや、と笑ってみせる。
「マカァ」
ドアの外から声をかける。返事があっても、あの声じゃここまで届かない。だから続けてもうひと言。
「死んじゃった?」
ぴくり、とも動かない。中が見えなきゃ分からないか。部屋の鍵はかかっていない。ドアを開けて中に入る。盛り上がった布団は、呼吸の上下すらしておらず、朝のままのように見える。
俺はベッドの横にしゃがみ、布団に声をかける。まだ、返事は聞こえない。
「なあ、死んじゃう時はさ、ちゃんとひと声かけてから行けよな。そうじゃないとさ、俺、凄い馬鹿みたいじゃん。あとな、死ぬと魂だけ残るっていうけどさ、お前の魂ってほんとでかいのな。こんな、布団丸々膨らませるみたいなさ、」
「………………る」
ベラベラベラベラ。俺が随分喋ったあと、やけに低い掠れ声が、ようやく返ってくる。やっと俺にも分かる。マカの言いたいこと。何でもいいから、口に出してくれないと分からないのだ。だって、武器だから。
『まだ生きてるよ』
と、マカはそう呟いた。少し笑っている。俺は腰を上げて、丸まった布団をはがして、中にいるだろう職人を探す。
「………ぃ……あ…」
「おーはよ。今までずっと寝てた?熱下がった?」
「……が……ぜ……」
マカはだるそうな顔で俺を見上げている。髪が顔に張り付き、目は三重くらいに重そうで、多分体全体に汗をかいているんだろう、布団をどけた瞬間にひやりと寒気がした。
「寒いか、まあちょっと待って。全然下がってないじゃん。ブレアは何かしてったか?」
「……い……だから……」
「あっそ。飯食うだろ?米があったからそれで何か作るよ」
端から見れば大分おかしい光景かもしれない。マカの声は咳にしか聞こえない。もしかしたら、俺の解釈も間違っているのかもしれない。こいつの頭は今高熱で沸騰しかけている。俺の返事も、まともに聞こえていないのかも。
髪をどけて、額に手を当てる。一瞬の冷たさのあと、じわじわとした熱さが手に伝わってくる。マカは目を閉じる。苦しそうな呼吸はしない。布団の圧迫感がなくなったからかもしれないし、寒いからかもしれない。
「……あっちぃなあ」
寒い、とマカは言う。俺はふと思い付いて、自分の額をマカに近付けた。ごちん、と当たりそうなところで緩めて、ゆっくりくっつける。マカは目を閉じたままだ。珍しく、何も言わないし、抵抗しないし、何より、目を開けない。
俺は奇妙な感情がぐるぐる回って近寄ってくるのが分かる。それは「怖くない」とかいう気持ちだ。マカを見ていて、そんなことを思うのは初めてだった。いつもだったら何をしようと、必ず奥に恐怖があるのに、単純にこいつが目を閉じただけで、怖いと思えなくなっている。思わなくなっている。
異常だ。
「あっ……が……」
ごち、と音がする。勢い余ってぶつけたらしい。マカは声を出すが、何を思っているのかはよく分からない。何故だか抵抗もしない。目の前にいるのは鎌の武器だが、それが見えていないらしい。いや、見たくないのかもしれない。
どちらにせよ、治るまで理解なんてできない。俺は顔の横に手を置くと、自分でもよく分からない行動に出た。顔を下げて、マカの口に、自分の口を合わせた。
「…………っは……」
びく、とマカの手が震える。震えるだけで、俺の体を押し返したりはしない。ぎし、とベッドがきしむ。一回口を離して、一瞬マカを見る。目は閉じたままだ。もう一回唇を合わせる。今度は中を割る。舌を伸ばして、歯の裏を探す。マカの掠れた声、音にならない空気。びくりと手が震える。そこで、また口を離す。息が荒い。妙な気分になりそうだ。ふ、と上を見る。
マカが目を開けて俺を見上げていた。
ぎくり、と頭の中で何かが割れるような音がする。反射的に顔を上げて、その場に座り込みそうなくらいに跳ね上がる。心臓がどくどくうなっている。まずい、まずい、まずい。俺は今一体何をした?
「あっ、はっ、ごめ、」
「……だ……ばか……」
マカの口がぱくぱく動いて何かを呟いている。でももう俺には聞き取れない。怖い。怖い怖い怖い逃げ出したいくらいだ。目を開けているというただそれだけで、俺の頭の中に圧倒的な恐怖がよみがえる。何かをぶっ壊したんじゃないかという恐怖、何かがぶっ壊れたんじゃないかという、予感。
逃げようとしても逃げられない。今まで無抵抗だった手が、俺の腕を掴んで離さない。簡単に振りほどけそうなのに、それができない。
「…………」
マカは掠れた声で何かを言う。俺から目をそらさない。そこには俺と違って、恐怖という感情はない。そう見える。特に表情がない。重そうなまぶたを開き、もう一回言う。
『やめなよ』
はっきり呟いて、手を離した。汗で冷えた体のまま、また布団をかぶってしまう。俺はベッド脇に立ち尽くしたまま、頭の中が真っ白になるような感覚を覚えていた。目の前の景色が視野からどんどん消えていって、何も見えなくなる。ぶっ倒れそうだった。口をこする。まだ、感触が、ああ、ああ、あああああああッッッ!!!!
叫び出しそうになるのをこらえて、マカの部屋を出る。日が落ちて暗くなったリビング。相変わらずがらんとして人気がない。寒くもないのにガチガチ歯が震えている。咳き込んでえづきそうになるが、あいにくと昼から何も口に入れていないので、出すものがない。うつるはずがないと思っていたけど、マカから風邪をもらってきたのかもしれない。
2009:05:08