なんてことは勿論なくて、お互いに不審者を見る目で一瞬視線がかち合ったあと、僕の方から頭を下げてそそくさと逃げ出した。まるで不法侵入だが、事実その通りなので言い訳のしようがない。引っ越し当日から面倒事に巻き込まれるなんて嫌だった。
「あ、ねえねえ、今日引っ越してくる人でしょ?」
なのに、向こうから声をかけてきた。辺りには誰の気配もないから、まず間違いなく僕に話しかけているんだろう。僕はギクシャクと振り向く。
女の子は僕と同じくらいの身長で、髪を二つに結んでいた。白いワンピースを着て、まるで高原のお嬢様である。よく見れば、目が緑色だ。
「そ、そうですけど……」
僕は途端に言い淀む。ひとり言ならペラペラどこまでも出てくるのに、対人相手だとどうして言葉につまるのか。
彼女は抱えている猫を下に降ろすと、ふう、と息を吐いた。涼しげな格好だが、それでも暑いらしい。
「えっと、さんですよね。下の名前は?」
「あ、は、です」
「君、と。いくつ?」
「じゅ、十四。中二」
おお!と目の前の女の子は声を上げた。僕は思わずあとずさる。さっきから何回びくついているのか。
「私も十四!中二!へー、てことは同じクラスになるかもね〜。この辺り学校ってひとつしかないから。私はマカです」
ひとりでそこまで呟くと、彼女は最後の言葉に乗せて手を差し出した。どうやら握手をしろと言うらしい。更に続ける。
「あとついでに地区会長をやってるよ。ここが私の家。さっきのはブレア。猫ね。種類は分かんないけど女の子で、結構前からいるみたい。ねえ、何か飲み物ご馳走するよ!入って入って!」
おずおずと差し出した僕の右手をぶんぶん振り回し、マカと名乗った女の子は家の中に入っていった。さっきの猫も一緒に入っていく。僕は展開についていけず、解かれた手を突き出したまま、眼鏡が汗で滑って、ようやく意識を回復した。何だこの展開。僕の頭も大分おかしくなったのかと思ったが、さっき家に入って休んだばかりなのにそれはない、はずだ。
にゃあぁあ。
また猫の鳴き声がする。さっきの猫だ。玄関で止まったまま、僕を見てにゃあにゃあ鳴いている。あれは、何だ、急かしているのか。
「……ちくしょう」
僕はぐっと手を握り直して、猫に近付いた。思い切ってドアを掴む。開ける。猫はその隙間からさっと入っていった。
中はひんやりとしていた。地区会館と名前があるだけのことはあり、入ってすぐに広い空間がある。ぶち抜いて作ってあるようだった。机などの家具は何もなく、真ん中に猫が一匹寝ているだけだ。
「お、来た来た。君、そこ、ブレアの隣が涼しいよー」
ひょい、と廊下の奥からさっきの女の子が顔を覗かせる。引っ込んだかと思うと、すぐにまた盆を抱えて出てきた。廊下の奥が台所になっているらしい。僕を押しのけて、さっきの応接間というか、会議室らしいところに向かう。
「何やってんの?温くなっちゃうから早く飲んだ方がいいよ」
マカと名乗る女の子は、その言葉を裏付けるように、ひとりでごくごく飲んでいた。僕はいそいそとその部屋に向かう。
しかし、入ったはいいものの、この広さの真ん中で、初対面の女子と二人きりというのは(正確には猫がいるから二人と一匹か)、どう考えても異常な事態だ。おかしすぎる。居心地が悪すぎる。僕はコップが届くぎりぎりの場所に座って、なるべくマカとは距離をおいた。
濡れたコップはつるつる滑って持ちにくいが、それを吹き飛ばすくらい、中の麦茶はおいしかった。思わず全部飲む。
「そういえば君、夕食とかどうすんの?」
「ゆ、夕食?」
「越してきたばっかっしょ?ご飯作れなさそうだし、お弁当とか買うの?お店の場所分かる?」
マカは二杯目を飲み干しつつそう聞いた。夕食か、何も考えてなかった。というか考える余裕がなかった。特に食べたいという気にもなれないのだけど、何だか、この子が向ける熱意は、かわしちゃいけないような気がして、否定できない。
「わ、分からない」
「やっぱり?じゃあ案内してあげるよ!自転車持ってる?」
「持ってない」
マカはえええ、と長い声を上げた。僕はびくり、と背中を強張らせる。どうして時たま奇声を発するんだ、この子は。側にいる猫ですら毛を逆立たせている始末である。
「この町にいて自転車がないなんてのはあんたさー、命取りだよ。どこにもいけないよ?」
「だ、だって越してきたばかりだし」
「ここはいるんだよ!」
マカはふん、と言い切り、手を腰に当てて立ち上がった。薄い色の髪の毛が日に透けて光っている。僕はもう一歩後ろに下がる。
「じゃあ後ろ乗っけてってあげるよ!お財布持って、向こう側の道で待ってて!」
何という独壇場なものの決め方。僕は思わず頷いてしまう。というか頷くしかない。その圧力がある。そしてついでに、口が滑る。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そうだ、お礼を、さっきから全然言えてなかったんだ。





2009:04:28