ごそごそ横で動いている何かがある。大きさからいって虫じゃない、猫でもない。時折唸り声を上げる。
そこまで聞いてようやく、隣にマカが寝ていることに気付いた。布団の中で、膝を抱えて丸まっている。俺はベットから追い出されそうになっていた。
辺りは暗い。一瞬今がいつなのか分からなくなって、俺は慌てて時計を探した。枕元の台に置かれているそれは、三時ちょっと過ぎを指している。蛍光塗料がぼんやりと光っている。何だ、朝の三時か。丸一日寝て過ごしたのかと思った。ちょっと安心する。
「……ソウル?何やってんの?」
布団がずれたことが気に食わないのか、マカは眠そうな声でそう聞いた。足を伸ばして、肘を付いている。
「時間見てた」
「何時?」
「三時。朝の」
マカは何だ、と息を吐いて、再び人の布団を占領した。俺は明け方の寒さを感じて、さっさとその中に潜り込む。体を少しずらして、マカの胸の辺りに顔を押し付けた。背中に手を回す。
「ちょっ、何やってんのさ」
「さみいんだもん。ホッカイロ代わり」
「変なとこ触んなよ、くすぐったいし」
マカは腕の置き場に困ったのか、俺の頭に手を回した。俺は鼻をマカのパジャマにこすりつける。ぐるぐる回していくと、摩擦で暖かくなるような気がした。
「ふぅ、あ、くすぐった、いよ」
「なあマカさん」
「なに」
「脱がしていい?上だけ」
「馬鹿言ってんな」
マカはもつれた舌で返答した。頭に加わっていた力が、段々薄れてくる。背中で手を動かしても、マカは声さえ上げない。その内に、すうすうという呼吸音が聞こえてきた。自分だけ寝たらしい。
俺は置いてきぼりにされた気分なので、もう脱がそうとかそういう考えが頭から消えていた。薄い胸に頭を乗せる。人の体は、ずっと触れていると火傷をするんじゃないか、と錯覚するくらい、熱い。でも今はその暖かさが幸せだった。眠るのが勿体ない。
何と言おうが寝たものは寝たらしく、次に目を開けたら周りは明るくなっていた。俺は毎度の、ここがどこだか分からないを繰り返し、ベッドの上に手を這わせる。
マカは先に目を覚ましたらしく、半身を起こしていた。隣で唸る俺を見て、眠そうな声でおはようと言う。
「今日のご飯、私だっけ」
「多分」
「うー、仕方ない、起きよう」
マカは伸びをしつつ、ベッドをさっさと出ていった。俺はまだ覚めない目でどうにか時計を見る。目覚ましが鳴る時間じゃなかった。あの職人、本当に早起きである。少し年齢を考えた。が、意味のないことに気付いてやめた。あいつは感覚がちょっとババくさい。
マカの準備はいやに早い。俺がのろのろ起きて、顔を洗って着替えている間に、既に何もかも終えて朝食などを作っている。珍しく、髪を結んでいない。
「お前ほんっと準備早いよな」
「ソウルが遅いんでしょうが」
「いや、俺は普通だと思うけどな」
「ちょっと早起きしたと思ったらそれ?」
マカは呆れた声で振り返る。火を止めて、スクランブルエッグらしきものを皿に盛った。文句はない、文句はない、むしろ誉めているつもりだが、マカのレパートリーはそんなに多くない。あと、料理自体そこまでうまくない。
俺が黙って席に着いているのが気に障るらしく、マカは眉間にシワを寄せた。
「何考えてるか分かるような顔しないでよ」
「分かった方がいいんじゃねえの?」
「知りたくないことまで分かっちゃったら気分悪いでしょうが」
「俺は今何考えてるでしょう」
「卵料理以外も作れ」
「ブー。外れ」
マカは意外そうに目を丸めた。俺は構わずざくざくフォークを突き刺していく。
「じゃあ何考えてんの?」
「知りたくないっつってなかったか?」
「外れたら腹立つでしょうが」
「マカさんは腰とか足とか痛くないのかなって考えてます」
「………………」
マカは不愉快そうに頭を抱えた。俺は牛乳で卵を流し込む。だから、聞かなきゃよかったのに。
「お前らただれた生活送ってんなー」
「というか、何だその生活習慣は。さっさと改めろ、この年齢からそのようでは、将来どうなるか知れたものではない」
昼間だ。ちなみに今日は学校で、ちょうど昼食の時間である。マカ達は女子にだけ違う種類の飯が出るとかで、わーきゃー騒ぎながら見に行ってしまった。よって席取りをさせられているわけだが。
「ったくよー、寝る時も一緒で起きんのも一緒、飯も作るし授業も一緒、帰りも一緒って気持ち悪いなそれ、想像しただけで吐くわ」
などと、大物らしからぬ適切な意見はブラックスターである。全く俺もその通りだと思う。人に指摘されて初めて、それがいかにおかしいか気付いた。
「いや、それはいいだろ。どこに行っても、そこに自分以外の人間はいるものだしな」
したり顔で突っ込むのはキッドだが、お前はそもそも死神だろうという指摘はとりあえずしないでおく。
「いや、ブラックスターの言う通りかもしんねえ。よくよく考えると気持ち悪いわ、この状況」
「だろ?その通りだろ」
「でも俺アパート一緒だしなあ……パートナーだし、急に家出るとかそういうのは無理っぽい」
「お前は何を言っているんだ。話が端的に過ぎるわ」
俺は頭をひねる。と言われても、このもやもやした感じを解消するには、距離を置く以外の方法が見当たらないのだから仕方がない。いや、そもそも、この二人に話を漏らしたのがまずかったか。考え方がそれぞれ違いすぎるから。
キッドは待て、と手を突き出した。
「一緒にいることのどこが問題なのだ?お前はマカのことが好きなんだろ、なら全く問題はない。肝心なことはそこではなくてだな、」
「は?」
「へ?」
何故かブラックスターと声がハモった。キッドはむ、と言いとどまる。
「何だ、何か間違ったことを言ったか」
「俺って、マカのこと好きなの?」
「それ俺も疑問」
「はあああ?」
今度はキッドが疑問の声を上げた。今にも机を蹴り飛ばして大声を上げそうだった。
ブラックスターが退屈そうに伸びをした。椅子がガタガタと動く。
「ソウルさー、別にマカのこと好きでも何でもねえべ?」
「はああ?そんなわけないだろうが。お互いに好きじゃなかったらその、何だ、一緒に寝るとかはしないだろう」
言葉につまるキッドは珍しい。俺は膝の上で手を組み替えつつ、言葉を考える。うまく言い表す方法はないものか。
「いや、好きじゃない」
「そ、ソウルお前な……」
「でも嫌いじゃないんだよなあ、よく分かんねえ。言うなら普通っての?そういう感じ」
「なー、ただれてんだろ。こいつ、好きでもない奴と毎晩毎晩引っ付いてんだぜー、そんなのおかしいじゃん。気持ちわりい」
ブラックスターは簡単に言い切る。そうして欠伸までしやがった。こいつは、自分に関わる問題以外、関わるべき問題以外の時は、すぐに話から離脱してしまう。
キッドはまだ納得がいかないようだった。腕組みをして考え込んでいる。
「そんなことはありえん。必ず愛情があるはずだ。でなければ理論的に説明ができん」
「愛情って言われてもなあ」
「だってそうだろうが。そこに愛はある。必ずだ。でなければシンメトリーにならんわ」
「駄目駄目。そんな馬鹿に何言ったって話聞いてくれねえよ。聞くなら俺様を頼れ。それこそきっちりかっちり返事してやるよ!」
ぎゃははは!とブラックスターは実に楽しそうである。キッドはその姿に感銘を受けたのか、実際に「愛があるか」とかって聞き始めてしまう。俺も馬鹿だと思うが、こいつらだって例えようのない阿呆どもだ。
しかし、などと俺は指を組む。実際に愛って何なんだろう。俺はマカからも聞いた。「好きじゃない」。嫌いとさえ言われた記憶がある。俺よりよっぽど酷い。けど俺を拒否しないのだから、あちらの方が人ができていると言うべきなのだろうか。よく分からない。
ひとつ確実なこと。俺達は両方とも、愛情なんて理解しないまま、一緒にいるってことだ。確かに不健全ではあるかもな。
なので、帰ってから聞いてみた。優秀な職人さんに、「愛とは何か?」
マカは眉間にシワを寄せた。辛辣な答えが返ってくるのかと思いきや、マカは真面目な顔をして低い声を出す。
「分かんない」
「……はい?」
「さあ、よく分かんない。何それ、誰に聞いたの?随分変なこと吹き込まれたね」
そう言って髪をほどく。俺は話の論点をはぐらかされたような気がして、何だよと呟いた。マカに分からないことが、俺に分かるはずがない。
それなら、と今度は居候の猫を探すが、肝心な時にいない。というか、よくよく考えてみたら、かなり恥ずかしい質問である。なかったことにしようと頭を振った。意味の分からないことについて考えても駄目だ。頭がパンクする。
部屋でぼんやりしていると、ゴンゴンというノック音が聞こえた。控え目な、という表現はまるで合わない、マカのノックだ。黙っていると勝手に開く。既に眠そうな、パジャマ姿の職人。
「寝よーぜー」
「……あのさあ、俺は特大抱き枕じゃないんですけど」
「抱き枕にしてんのはあんたじゃない。どきなさい、邪魔邪魔」
誰の部屋だと思っている、とかいう俺の悲鳴は完全に無視され、ごそごそ潜り込む馬鹿。顔を手で覆って、人の話を聞かないつもりらしい。
マカのこれはいつから始まったのだろう。つまり、俺の部屋に来て、同じベッドで寝るという行為である。そのまま、朝まで寝入ることもあれば、色々致すこともある。ただれた、と言えばその通りで否定する気もない。ただ俺から誘うことはないし、向こうから毎晩のように来ているのだ。これって、どちらに原因を求めるべきなんだろう。
もしかして、これが、「愛情」なんだろうか?愛が足りないから、それを求めてマカはここにいると?布団にくるまればすぐに寝てしまうパートナー。そこに愛情とか、そういうものを見付けるのは難しい。
横にいるマカを見てみる。髪は肩を越したくらい。寒いのか、今日も丸まっている。腕は顔を隠すように突き出している。俺は伸びをすると、明かりを消して同じように、布団の中に潜り込んだ。
昨日と同じように、胸の辺りに顔を押し付ける。むう、とマカは唸るが、特に追い払ったりはしない。腕をどけて、俺の頭に寄せる。どんな顔をしているのかは想像するしかないが、さぞ眠いんだろう。
「……ソウルって、マザコンだよね」
「はあ?何で」
「普通こんなことするかなあ、散々に言っといてさ」
「抱き枕っつったのはお前だろうが」
「げっ、まじで抱き枕代わりですか」
嫌そうな声。ついでに仰向けになってしまうので、俺はそれに付いていこうと動く。交差しているようなおかしな格好だ。
少し露出したマカの腹に手を当てると、職人は軽い声で笑った。くすぐったいらしい。俺は胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で尋ねる。
「抱き枕さん、抱き枕さん」
「ひっどい呼び方だね、訂正しろ」
「職人さん、職人さん。……なに、今日も、えろいことしていいの?」
「すんの?」
「できれば」
「馬鹿みてえ」
顔を上げると、マカは呆れた様子で目を細めていた。意外なことに、そこに眠気はない。俺の頭に手を置く。
「勝手にすれば、元祖抱き枕。寒いよ」
暗い部屋だけど、明かりを消すのが早かったのか、辺りの家から光が差し込んでいる。職人の顔がうっすら見える。表情も。
あれに愛はない。好きもないし嫌いもない。無表情で、これが「普通」なんだろうか。俺とマカにとってはこれがあまりにも「普通」で、それ以外の選択肢なんて想像もできない。
愛情が分からないこども。随分詩的な言い方だけど、そうとしか言いようがない。俺達はこどもで、自分達が何をしているのか、さっぱり分かっていない。
そうと決まれば、というわけでいったん起き上がる。マカは寝たままで実にやる気がない。俺だけ盛り上がっていいのかな、などの疑問を抱きつつ、緩いパジャマのボタンに手をかける。指が服越しにでも触れるのがくすぐったいらしく、マカの体はぴくぴく小刻みに震えた。あはは、と声さえ出している。
ボタンを外すと、マカの薄い胸が露出する。相変わらず下着がない。はらはら、とパジャマをどける。さすがに恥ずかしいらしく、マカはまた腕で顔を覆った。少し、というかかなり赤い。俺は触れるのをやめて、上半身だけはだけさせた格好でマカを放置。
「顔が赤いですよ、職人さん」
「何で私だけ脱がすんだよ!見んな変態!あと寒い!」
「何か、脱がしてみたかったから」
「変態変態!マザコン!」
どうしてここまで言われなければいけないのか。俺はよく分からない気分に陥りつつも、めげずに頑張る。腹の上に手を置き、つつつ、と這わせていく。マカは貧弱な体で、骨の位置が分かるってくらいなのだが、皮膚はきちんと暖かい。生きている、気持ちいい。愛情なんて関係ない。お互いにいればそれでいいじゃないか。大袈裟な表現なんていらない、分からない。
小さかろうが、胸は変わらず柔らかい。姿勢がきつい。どうして横向きなのだ。撫でるように揉むと、マカは顔を隠したまま息を吐いた。
「う……はぁ、寒い」
「寒い?」
「寒い。布団、布団が欲しい」
布団なんてかけたら俺の身動きが取れなくなってしまう。どうしたもんかと悩んだあげく、俺は布団を引っ張り上げた。マカと並んで寝て、頭まで隠すくらいにかぶる。その上で、マカの体を俺の上に持ち上げて、昨日できなかったこと、すなわち裸の胸に直接顔を当てた。
マカはわわわ、と声を上げて、手をベッドに付ける。
「のっ、乗っちゃっていいの?重くない?」
「重い」
「正直に言うな」
「じゃあそんなに重くない。動くと布団ずれるよ、寒いぜー、裸だしな」
それでマカはとりあえず大人しくなる。手と膝を付いて、あまり体重がかからないようにしている。俺はマカの背中を押さえ付けているので、加わる力にはあまり関係がない。
自分の息で視界が曇る。ただでさえ風通しが悪く湿度の悪い布団の中が、どんどん暑くなるようだ。特に触っていないのに、マカの呼吸が少し荒い。
「は、ふぁ、あつ、あっつ、い」
「暑い?」
「あんたの、息、が、かかって、何か、あつい、息すんなっ」
「そりゃ無理ですよ」
俺は盛大に息を吐いてみせる。湿気でマカの肌が濡れそうくらいに。実際に濡れているのかは触らないと分からないが、あいにくと手が塞がっていた。仕方がないので舐める。谷間というほど立派なものではないが、胸の隙間に舌を這わせてみる。
「やっ、ちょっ、こら、なにやって、」
「動くな動くな。疲れんぞー」
「舐めんのは禁止っ!」
と言いつつ、マカの体は俺の上から離れない。俺は少し体をずらしつつ、マカの右の乳房に舌を移す。何だか面白いので、軽く噛み付いてみた。
「わきゃっ!」
マカはびっくりしたのか、高い声で叫んだ。耳が痛くなる。
「か、噛んだっ!」
「噛んでない」
「噛んでる!酷い、マザコンだ!」
きんきんうるさいので、俺は体をひっくり返した。再び元のポジション。今度はマカも寒いとかの文句は言わない。ようやく解放されたとばかりに、ため息をつきやがる。まだ全然終わってない。眠るには早い。
「はいマカさん足上げて」
「足?」
「足あし、ばんざーい」
ぽかんとして動かないマカの足を掴んで、ぐわっと左右に広げてみた。マカはそこで意図が分かったのか、急に慌て始める。俺の背中に申し訳程度にかかっていた布団が、これを最後にずり落ちた。
「んなっ!ちょっ、こらっ!」
「待ったなしで」
言葉通り、ズボンのゴムに手をかけた。マカが止めにかかるが、体勢からして完璧じゃない。すぐに押しやって下着ごと脱がせてしまう。足で蹴るので、膝まで下ろすことですらひと苦労だった。
「ちょっ、まじか!やだっ、本気なわけ!?」
「本気本気。最初に言ったじゃん。で、マカは勝手にしろって言ったじゃん」
「枕の代わりかと思ってたよっ!」
「ブレア帰ってくる前に終わそうぜ、暴れんな馬鹿」
顔を歪めて抵抗する職人。俺はその足から服をはぎ取ると、付け根の部分にゆっくり触った。マカは衝動的に足を閉じようとするので、片手で押さえる。中はまだ少し濡れたくらいだった。マカは再び顔を覆う。
「な、何じっと見てんのよ!変態!マザコン!ヘタレウサギ!」
「どうとでも。好きに言ってくれ」
叫ぶ度に指が動きやすくなるので、こちらとしては好都合である。割れ目に沿って指を動かすだけで、マカの腰が少しずつ揺れてくる。
「なあ、寒い?」
「さ、むくは、ない」
口だけ動いているのが見える。ふう、と俺は息をつくと、できる限り身を沈めた。マカの腰を持ち上げるようにして、付け根に口を付ける。
案の定、マカは物凄い勢いで反応した。
「やっ、ちょっ、待ったソウル!それはなしだよ!き、汚いってば!やんないで!」
「愛とは何かを確かめてんの」
「そんな確かめ方があるか!や、ほんとに待ってよ、やだってば!」
制止を無視して舌を入れてみる。俺がマカだったらやっていたかもしれない。何となく、人の嫌がることを率先してやるような気がするから。いい意味でも悪い意味でも。
「んぁ、ひ、やぁ、きもちわる、うぇえ」
足を広げたまま、俺の頭を押さえるマカは中々面白い光景だった。扇情的とさえ思える。聞こえてくる声がどこか遠い。部屋は暗いのに、視界はやけに鮮明だ。布団がないからだなとぼんやり思う。マカが入ってくる時、部屋の鍵を閉めていたっけ?
「やっ、ほんと、やだっ、やめようよっ、もう十分だよ、駄目だってばっ」
「待って、まだ」
「ぃあ、うあ、ひぁっ、やだよ、変だよ、気持ち悪いよ、やめてよっ!」
俺は顔を上げる。マカは目をつぶって首を振っていた。やめたことに気付いていない。
少し起き上がって、マカの頭を掴む。揺れない程度に額を押さえる程度だけど、有効だ。マカは目を丸く開いて俺を見た。
「ごめん、やめた」
「……ばっ、くそ、馬鹿野郎!最初っからするな!」
「泣いた?」
「泣いてない!」
職人は意地を通すがどう見たって涙ぐんでいる。俺は本物の枕の下からゴムを取り出すと、ぜえぜえ言ってるマカを尻目につけていく。
もう一回目を合わせて、額をぶつけた。ゴチッといい音がして、マカは目をつぶる。
「たっ!いったいなー!」
「愛とは何か?分かった?」
「知んないよ。分かんない。知りたくない。頭痛い」
「もうちょっと考えようぜ」
「夢ん中で考えてあげるよ」
「そんなこと可能なのかよ」
「さあ?できるんじゃないの」
俺はがっくり肩を落とした。頭のいい奴が考えていることは分からない。起き上がる直前にいい、と聞くと、かすかな頷き。駄目だ、いまだに緊張するってどういうことだろう。
足を持って、ゆっくり挿れていく。わずかな抵抗は無視。何というか、気にしていたらきりがない。
「あぅ……ぐ、はぁっ、んんんっ」
そして毎回苦しそうな声を上げる職人。反射的に謝りそうになるけどそこは我慢だ。
「いゃ、やっぱ、気持ち悪……変だよ」
「言うなって」
俺は緊張であまり余裕がない。マカみたいに冷静に物事を観察していられず、思わず動いてしまう。マカは体勢上、こちらの動きに合わせるしかない。声が小刻みに震えた。
「やっ、はっ、ぅあっ、ひゃっ」
しゃっくりみたいな声だった。声というより、まるで音だ。効果音。呼吸の間に漏れる音。俺とマカは何故か息をするタイミングがかぶるので、こちらの呼吸が全て持っていかれてしまう。酷く酸素が足りない気分になってくる。
「ま……っ、か、あいって、何だろ」
「知らなっ、やだっ、やっ、ひぅっ」
答える余裕なんてどちらにもない。お互い解答さえ用意できていない。それでも、キッドが言う「愛がなければ説明できない」行為を繰り返して行っている。でもここにはそれがない。俺もマカも、何も考えていないし、多分、考えたくも、ない。
何も考えなくても終わりは来るわけで、事を終えたマカは糸が切れたみたいに眠ってしまった。風呂には朝入るという。パジャマのボタンをかけ違えているが、既に寝入っているので直せない。
俺は仰向けになって天井を見つめる。目はすっかり暗闇に慣れてしまった。ぼんやりした眠気が頭の中に漂っている。
「ソウル君、ほんとに何っにも分かってないのね」
唐突に声がした。
頭の中だけじゃない。実際に外から聞こえる声だ。マカは寝ている。首を動かして反対を見る。どういうわけか、体が動かない。
言葉の調子で予想はついたが、そこに立っていたのはブレアだった。いつもの極端に短いショートパンツではなく、最初に会った時の魔女のような外見である。どうやって入ってきたとか、そういうことを問う前に、ブレアはこちらに近付いてくる。
「何も分かってないから平気で聞いちゃう。マカにも聞いたしブレアにも聞こうとした、学校の友達にも聞いちゃった。そこで分かった答えって何?ソウル君にとってどういう存在?大切なものになったかな?それとも曖昧になって終わっちゃった?」
ブレアは感情が薄い声で続けていく。マカは起きない、気付いてもいない。俺は寝られない、体さえ動かせない。金縛りだ、頭は起きているけど体は寝ている状態。だから、このブレアは夢で、幻のはずだ。そう理解できてもどうしようもない。
ブレアの長い爪が、シャツ越しに胸の傷をなぞる。治ったはずなのに、他人に触られると妙にうずいて、俺は呻いた。
「これ、この傷。ソウル君はどう思ってる?愛情があるから、マカをかばって、傷を負った。そんな風に考えているのかな?ブレアの考えを言ってあげる。それは、間違ってる」
小さい声なのに、体全体に重しを乗せられている気分だった。ブレアは傷をなぞるのをいったんやめると、俺の両脇に手を置いて、ぐいっとベッドの上に乗った。三人分の重さで、スプリングがぎしぎしと音を立てる。
動けない俺を放って、ブレアは顔を近付けた。さっきみたいに、額がぶつかることはない。丸い目が俺を見ている。感情のぶれはない。
「もう一回言うよ。そこに愛情はない。この傷を作ったのは、完全にソウル君のエゴ。自分のために、君は傷を負った。マカのためじゃない。君は何も分かってない。多分マカも、この傷に愛情は感じていない。彼女がこの傷を見て今でも最初に思うことは、恐怖と嫌悪。好意とはまるで違う。ソウル君は分かっていない」
俺の両手を押さえ付けるように力を込めて、ブレアは魔女のような無表情を崩さない。長い髪の毛が顔にかかる。息ができないくらいの圧力だった。かろうじて、掠れたような声が出る。
「かっ……はぁ……ふぁっ……」
「それはマカにも言えること。あの子も全然分かっていない。そもそも分かろうとしていない。自分に向けられている感情の区別が付いていない。だから相手に向ける感情も分からない。君とどう関わったらいいのか知らない。勿論君だって教えてあげられない。マカは今でも、君のことが好きなのか、嫌いなのか、これを愛情と呼ぶのか、憎いと思うことなのか、分かっていない。ソウル君はそのことを理解しなくっちゃ、ねえ?だって君はマカのパートナーなんだもの、それくらいはやってあげなくちゃ」
ブレアはにや、と笑った。唇の間から、尖った歯が見える。その歯がどんどん俺の首に近付いていき、大きく口を開けると、ひと息に噛み付、
「ぶはあっ!!はぁっ、はっ……はあ、うえ」
そんなはずがない。そんなはずがなかった。目を覚ます。寝ていたらしい。額が冷たい汗で濡れている。ここは俺の部屋、隣には何も知らない職人。時計を見ると、朝の六時前だ。寝すぎだ。
どうも足が動かない。何かと思うと、猫のブレアだった。丸まって寝ている。
「はは、は……」
俺は笑ってしまう。普段はリビングで寝ている癖に、今日に限ってここまで来たらしい。いつ来たんだろう。猫のまま来たなら、やっぱりドアは開いていたんだろうか。それとも自分で開けたんだろうか。
首を振る。考えすぎると頭が変になりそうだ。マカといる時にブレアの夢を見るとは、隣の職人様に言ったらさぞ睨まれることだろう。
夢のなかの台詞がまるで出てこない。酷い問答をしていたように思う。でも、駄目だ。最後に首を噛まれそうになったことしか思い出せない。手で触ってみるが、特に痕跡はなかった。やっぱり夢だったらしい。
鳴り始めた目覚し時計を止めて、俺は職人を揺り起こす。寝汚く布団にしがみつく阿呆。額を叩いて目を開けさせる。
「ほれ、マカさんよ、朝だよ。風呂入るんだろ」
「う、ううう、ソウル代わりに行ってきてよ」
「俺が代わりに行ってどうするんだよ、さっさと起きろ」
「ちっくしょー……連れてきやがれ……」
「寝んな、頼むから」
効果は空しく馬鹿は目を閉じてしまう。俺は朝から深いため息をつくと、足の上にいる猫を前の方に押しやって、布団から体を引き抜いた。痺れている。どうにか起き上がると、ベッドの反対側に移動して、丸まって寝続ける職人から布団を取った。
「……だからってさあ、これはないよね、これは」
「ありだろ、むしろ最善の選択肢だと思うけど」
「ない、ないないない。絶対ない!」
最後の声が壁に反射して、俺の耳を攻め立てた。寝起きの頭がガンガン痛む。顔をしかめたこちらのことは構わず、マカは足で奥へ追いやった。
「ありえねー……この年で一緒にお風呂とか、ないよ」
「あのエロ親父とは入ってたんじゃねえの?」
「いつの話だ!十年は前だよ、このマザコンがっ」
マカは風呂の中で膝を抱えた。今更恥じらわれても、そのドラム缶みたいな体に色気なんてまるで感じないから、全く必要ないんだけど。
「……おいそこの鎌、今考えていたことを言ってみろ」
「すいませんすいません、失礼しました」
「全くさー、ただでさえ狭いのに、二人同時に浸かる意味がどこにあるってのよ」
「水の節約?」
白々しい、とマカは吠える。ほどいた髪が水を含んで、暴れる度に俺の顔を直撃する。自分の髪にも言えることだが、何か不必要に長い。俺の髪は濡れると、とにかく情けない見た目になる。濡れた犬なのだ、完全に。
マカの髪は濡れてもそんなに変わらない。見苦しくはならないっていう意味だが、こういう時は羨ましい。足を抱えていて背中が曲がっているから、後ろにかかる髪がやたらと長く見える。手を伸ばして引っ張ってみた。
「あたっ、痛い、何で引っ張った!」
「いや、伸びたなあと思って」
「あんたねえ、何かやるんだったらひと言言ってからにしなさいよ」
「じゃあ、触る」
「さわんな」
冷たく言い捨てるマカの肩を掴んで、顔を寄せた。職人はぎくりと身を縮めて、俺と目を合わせる。肩と手が強張っている。マカは体全体だ。水が落ちるぽたぽたという音。
ブレアの声音がよみがえる。いや、あれはブレアが言っていたんだろうか、全部俺のひとり芝居という気がしてくる。否定できない。何も分からないから説明できないのだ。でも、実際にそうだ。俺もマカも、お互いが、何となく、怖い。
目をそらせないのがきつくて、肩を引き寄せた。背中に手を回す。マカは足を崩してよろめいた。ぶはっ、と派手な呼吸が聞こえる。今まで息止めてたのか、お前は。
「な、何すんのよ」
「愛とは何かを考えていた」
「昨日からしつこいね、辞書使いなさいよ、辞書を」
「実体験として経験したい」
「あっそ、頑張れば」
そのままの姿勢でいるのは辛かったので、後ろに寄りかかる。マカの体重が俺にかかって、体が押し付けられた。柔らかくて気持ちいい。マカはされるがままなので、俺に手を回したりとか、逃げようとかはしなかった。ぼそりと呟く。
「あ、朝ご飯、何にすんの?」
「お前飯のことしか言ってねえな」
「それしか楽しみがない」
「今日は休日なのに……さすがひきこもりですね」
「うっさい馬鹿。とっとと離せ、朝っぱらから長風呂なんて勿体ないわ」
マカは眉を寄せて、腕の中から抜けようとする。その頭に顎を乗せて呟いた。
「愛をください」
「やだ」
即座に否定。酷い職人だ。
2009:03:02