何かを思い出すきっかけって何だと思う?プルーストみたいに、お菓子食べてる時にぱっと浮かんでくればいいけど、私の場合は全然違う。もっともっと、直接的で、思い出す内容に直結していないとまるで駄目。ビスケット食べたからって頭に浮かぶのはビスケットのことだけよ、そんなの普通じゃない。
だから、あいつのことを思い出したのも、随分直接的なことがきっかけだった。
『4242‐564』
死神の部屋へ繋がる番号は、私が学生だった頃から変わっていない。ドレッサーに息を吹きかけて数字を書く。ふう、と腰を降ろしている内に、死神が姿を現す。
『……これは、珍しいな。マカから連絡を取ってくるとは』
「用事があったからね、どう、元気にしてる?」
まあまあだな、と答えるのはキッドだ。死神を名乗っているのだからその名前はふさわしくないのかもしれないが、先代の死神様はまだ存命中だ、区別を付けるためには仕方がないだろう。本人も嫌がってはいないように見えるし。
キッドは、少年の姿からは脱したものの、私よりずっと若い姿でそこにいた。どんな気分なんだろう、年を取るのが周囲より遅い、という感覚は。私はため息をつく。
「まあ、あの頃のお仲間もさ、私達だけになっちゃったからね。皆いなくなっちゃった」
おいおい、と今度は死神が嘆息。
『適当なことを言うな、マカらしくもない。まだ皆元気でやっているだろうが、知らないのか?』
「知ってるよ、手紙だけは、たまに書くからね。言ってみただけ」
『縁起でもないな。他に知れたらうるさいぞ、まだまだ自己主張が強い奴らばかりだしな』
ははは、と少し笑ってみせる。そうだ、学校の友達。皆馬鹿みたいに元気に暮らしている。病気になったとか、足を痛めたとか、そういう話を聞いたことがない。
私は最近短くした髪をいじって、どうしようもなく低い声で呟いた。そうだ、思い出なんて、例外なく苦い。
「…………何で、あいつだけ、いなくなっちゃったんだろうね」
『……用事はそれか。本当に珍しいな、いや、初めてか。マカの口から聞くのは』
「そうね、初めてかもね。ずっと忘れてたもの。ついさっき思い出したんだ」
忘れていた、と繰り返して顔をしかめる死神。私は唇を吊り上げて、話を再回する。
「さっき出かけた時にさ、こどもがこっちに向かってきたのよ。そうしたら私の目の前で思いっ切り転んだの。びっくりするじゃない?驚いちゃって動けなかったんだけどさ、その子はさっさと立ち上がったの。そんで私を睨むわけ。酷い話でしょう?勝手に転んだ癖にね。何て言い返そうかと思ったらさ、その子、髪が真っ白だったの。そりゃもう、綺麗なくらいの白髪よ。それを見たらさ、もう何も言えなくなっちゃって、その子が走っていって初めて意識が戻って、そこで思い出した」
喉がつかえる。声が掠れそうだった。こんなに喋ったのは久しぶりだ。
そう、あのこども、面白いくらいあいつに似ていた。ぼさぼさに伸びた白髪と、生意気そうな目。色は赤じゃないけど、眉の寄せ方がそっくりだった。白髪だから色々言われることも多いだろうが、全部にいちいち突っ返していきそうな印象がある。子供の頃は、あいつもそうだったのかもしれない。
『それで、何だ。墓参りでもするつもりか?』
「その通りよ、ご名答。さすが死神ね。旦那が死んで一年たったしさ、私が他の男の墓参りに言ったって、誰も文句なんて言わないだろうしね」
『随分沢山言い訳をするんだな、今日は』
「言い訳じゃないわよ、正当な理由。思い出したから行ってみようかなっていう程度の話。住所教えてよ、キッド」
あいつの、墓の。ゆっくり発音する。外はいい天気だ。明日もいい天気だろう。人のいなくなる話題には丁度いい。
キッドは少し無表情になる。眉間を揉んで、何か考えているようだが、すぐに手を離した。
『墓参り、か。ふん、用事はそれだけか。そこの住所からは遠いぞ、往復に時間がかかる』
「暇なのよ。散歩だと思うことにするしね」
『誰か一緒に行った方がいいと思うが。途中で倒れでもしたら事だしな』
「心配してくれてるわけ?平気よ、ただの墓参りだし。どうせなら行く先々の窓に、そこへの直通番号書いて回ってあげる」
『ふん、それだけ元気なら結構。住所だ、口で言うから書き取ってくれ』
はいはい。いくつになっても、この死神は無自覚に命令をする。見た目通りの年齢ではない、というアピールなのか。細かいことなんてどうでもいいだろう。私は持っていたメモに、言われた通り書き付ける。確かに、少し遠いな。
キッドの言いたいことは何となく分かる。ふん、同伴者を作れだって?あの死神、私が自殺するとでも思っているらしい。それか、悲しみのあまりショック死。誰が死んでやるものか、繰り返すけど、これはただの墓参りだ。何ということもない。
死神に礼を言うと、通信機の役目を果たしていた鏡は、再び私の顔を映すようになる。自分の顔に言い聞かせる。マカ、明日はただの墓参りよ、他のことなんて考えないでね。
分かってる、分かってるわよそんなことくらい。
ひとつ思い出すと、堰が崩れたように他のことまで引きずられてくる。次の日の朝、私の頭はもやもやした感覚で一杯だった。中身は分かっている。学生時代の、何というのか、組んでいた相手のことだ。名前は、ソウル、だっただろうか。確かそうだ。笑ってしまう。名前まで忘れていたなんて。
ソウルが死んだのはもう随分昔のことだ。あの時チームを組んでいた七人の内、誰も想像しない早さであいつはさっさとこの世から消えてしまった。しかも、自分から、消えた。
頭がズキズキする。馬鹿馬鹿しい。もう何年たったと思っているんだろう。いまだに私を苦しめるのか、あの馬鹿なパートナーは。
ボックス席の列車は、時間帯に関わらずいやに空いていた。休日の早朝だ。私はこれから一時間くらい揺られなければいけない。目の前に座った若い女性は、窓を眺めている内に眠ってしまった。私は眠れない。昨日から、ずっと何かを思い出している。
そうだ、あいつは武器だった。そして私は職人だった。その言い方、分かりにくい名前が悪かったのかもしれない。私とソウル、武器と職人という関係は、妙にこじれていてややこしいものだったから。
表すなら、パートナーとよく言っていた。所有物だとか、作品だとか、そんな名称を使っていた人もいた。私の両親なら、恋人とか、友人とか、そんなことさえ言うだろう。ただ、私とソウルは異なっていた。友人という言い方も正しくない。恋人なんてもっての外だ。「武器と職人の関係」である、としかいいようのない信頼感が、私達の間にはあったように思える。いや、訂正しよう。少なくとも私にはあった。ソウルに関しては、分からない。分からないからあいつは消えた、死んでしまった。
勘違い、そうか、勘違いっていう表現があったか。あいつと私は感情の思い違いをしていた。私はパートナー、「組んでいる」という感情しか持っていなかった。あいつは違っていたのだろう、例えば、「友情」とか、もしかすると「愛情」なんていうのも、持っていたのかもしれない。本人に聞いたことがないから、分からない。知りたいとも思えない。
がたん、と列車が揺れる。外は変化し続けている。死神の居場所、デスシティの周りはほとんど砂漠だった。それに比べたら、一体ここはどこなんだろうと、そんなことさえ思ってしまう。
あいつが死んだ日、私のところに案内が来た。私は行かなかった。行きたくなかったから。あれやこれやと理由を並べることもなく、ソウルは土の中に埋められた。あとから誰かに聞いた。自殺だったらしい。あいつは無宗教だったから、それが表立って問題になることもなかった。
自殺。どうして死ぬんだろう。学校を出る間際の、あいつの顔が思い出せない。笑っていただろうか、泣いていただろうか。私はそれにどう答えただろうか。駄目だ、もう声すら思い出せない。思い出したくも、ない。
そうだ、これはただの墓参り。どんな感傷があるだろう。死んで何十年たった人間を、今更偲んでどうする。当時何もしなかった私は、そんなことをする権利すらないし、する気も更々ない。
目をつぶって言い聞かせる。いつの間にか、前の女性は降りていて、ボックス席には私だけが座っていた。窓からきつく日差しが差し込んでくる。どうやら、そろそろ降りる駅のようだった。
あいつの墓は分かりやすいところにあった。人に道を尋ねるまでもなく、表札がそこらじゅうに立っている。大きな墓地らしい。行く直前に花を買う。カスミソウとガーベラ。白と赤。墓に供える花じゃないだろうが、本人に似合いの花のように思えた。
ゆっくり道を行く。すれ違う人の数は多い。明るい歩道だった。まだ日は真上まで上り切っていない。狭い道を通ることも、大通りを外れることもなく、私は目的の場所に着いた。
その墓地は、とにかく明るかった。芝生が敷き詰められていて、真ん中には大きな木が植えられている。その真下にはいくつかベンチがあり、さながら公園のようだった。何人か本を読んだり、話したりしてくつろいでいる。墓地という言葉とは無縁の明るい場所だった。私は暗い服を着てこなかったことに安堵し、端から墓を見て回ることにした。死神は、墓の場所までは教えてくれなかったから。
目が悪くなってきたので、石に刻まれている名前を読むだけでひと苦労だった。しかもアルファベット順に並んでいるというわけでもない。せめて真ん中に行くまでには見付かって欲しいと思いながら歩いていく。途中、何組かの遺族らしい人達とすれ違う。あいつには、こうやって訪れてくれる人はいるのだろうか。
不意に顔を上げた。腰が痛んだせいじゃない。日が陰ったせいでもない。きっかけ、そう、きっかけだ。思い出すことに何か理由が必要なら、思い出したあとに繋がっていく結果も必然だろう。それくらい、私は目の前にいた人物に驚愕していた。
「そ、ソウル……?」
思わず口に出してしまう。ぼさぼさに伸びた髪の毛とか、不満そうな目付きとか、黒いジャケットとか、猫背気味の立ち方とか、忘れていた容姿が次々とよみがえってきて私を覆い尽くす。
な、何で生きてるの?どうして変わっていないわけ?自分の墓でも見に来たの?私に、気が付かないわけ?言いたいことが多すぎて口が動かない。手が緩んで、花束が地面に落ちてしまう。
目の前の人物は、その音でこちらに気付いたらしい。振り返る。口をきく。
「あ、こんにちは。あなたも、えっと、おじさんの墓参りに?」
「え?あ、ああ、私は、その」
とっさに下を向く。青年の足下にある石には、確かにソウルの名前が刻まれていた。享年も書かれている。頭が痛んで、目をそむけた。
改めて前の人を見る。振り返ってこちらを見る顔には、あいつの皮肉さはまるでなかった。柔和で人のよさそうな顔だ。髪だって白髪じゃない、薄い茶色。目の色も同じだった。な、んだ、やっぱり別人なのか。私は自分でも驚くほど、落胆していることに気が付く。どうして、あんな奴のために。
青年は私の足下に落ちていた花束を拾うと、はい、と手渡した。
「おじさんの知り合いでしょうか、あの、すいません。他の人が来ているのが珍しいので」
「あ、私は……」
言い淀む。何と説明していいのか分からない。どこまで話していいのかも。青年は目をぱちぱち動かすと、ソウルなら絶対にしないような柔らかい笑みを浮かべた。髪が光に透けている。そうか、これで白っぽく見えたのか。
「あの、よかったらちょっと話してもいいですか。ほんと、珍しいんで、よかったら」
花を供えたあと、墓地の中央に設置されたベンチに向かう。木の影になっているベンチから見渡すと、芝生はどこまでも広がっているように思えた。改めて、最初の方に墓を見付けられてよかったと思う。
青年は、ソウルの兄の孫だといった。最初に想像していたよりずっと遠い係累だ。
「正確にいえばおじさんじゃなくて大おじですね。まあ、僕は実際に会ったことはなくて、祖父から話を少し聞くくらいで」
ソウルがおじさん、などと呼ばれているのが妙に面白くて、私はちょっと笑った。あいつ自身にこどもはいなかったはずだ。繋がりを意識的に断ち切っている私には伝わっていないだけかもしれないけど。
青年は癖らしいゆっくりとした発音で再び話し出す。
「それでですね、実は僕も、名前がソウルっていうんですよ。両親の方は何の気なしに付けたみたいなんですけど、祖父の方がびっくりしてて」
「……ソウル、君」
「はい。ですから、えっと、あなたがさっき名前を呼んだ時びっくりしました。初対面なのになあ、って思って。あれはおじさんの方だったんですね」
私は曖昧に頷く。あれは墓を見付けたから声が出たんじゃない、この青年を、本当にソウルだと思ってしまって、出た声だった。面倒だから説明したくなかった。
ソウルは、目の前の青年の方だが、また瞬きを繰り返した。ちょっと言い出しにくそうに尋ねる。
「それで、あの、あなたは」
「マカでいいわ。名字は好きじゃないから」
「マカさんは、おじさんとは、どういった関係で」
言ってからすいませんと謝られる。何を勘繰っているのか、私は口を歪めて手を振った。
「そういうんじゃないわ。えっと、何ていったらいいのかな。武器と職人、で分かるかしら」
「武器と……?」
ソウルは眉を寄せた。そうか、知らない人は知らないのか。改めて説明しようとすると、この関係の不可解さがますます際立ってしまう。かといって、適当に表現すると誤解を招きそうだった。
「武器と職人っていうのはね、どういうんだろ、私の主観でいいかしら」
「はい。友達、とは違うんですか?」
「違うと思う。パートナーね。向かう先の利益が一緒なのよ。それを得るまでパートナーを組んで、それ以外は知ったことじゃない、って感じかな」
「はあ……シビアな関係ですね」
「私の主観だけどね、他の人は違うかもしれない」
そう、あいつの考えは違うかもしれない。だから私はいまだにあいつを理解できないし、理解もされなかった。ソウルは、どう考えていたんだろう。話してくれたんだろうか。それとも、私がその話を聞かなかった?記憶が曖昧に濁っている。
目の前のソウルは、武器と職人、という言葉を何回か繰り返した。うん、と深く頷く。
「いい響きですね、武器と職人。おじさんとマカさんは、いいパートナーだったんですね」
「違う」
強く否定してしまう。青年はえ、と気の抜けた声を出した。
「違うわ。私は、そうじゃなかった。私は、何もしなかった。あいつが、あなたのおじさんが、何を考えてるかなんてさっぱり分からなかったし、理解しようとも思わなかった。そんなの関係ないと思ってた。そんなの友達以下の関係でしょ。所有物よ、武器っていう名前だもん、それがふさわしい。ほんとに、違うのよ、あなたのおじさんには悪いけど、私、ほんとは、墓参りなんて、しちゃいけないのよ」
声が止まらない。相手が呆然としているのが分かるけど、止められない。
そうだ、それが正しい。あいつが何を考えているのか分からなかったのは、私が理解しようとしなかったら。学校を出る時の顔が思い出せないのは、私が何もしてこなかったから。そうだろう?記憶は私のものだ、あいつが干渉できる部分なんて、何もない。あいつに干渉できることも何もない。もう、全てが遅い。理解もできない、思い出すことも、できない。
泣きそうな自分が悔しかった。顔も声も思い出せない奴が、何泣いてんだよと私を笑っている。そいつに負けたくなくて、唇を噛んで耐える。そうよ、今更何なの?墓参りに来てやっただけで、私に勝ったと思わないことね、馬鹿ソウル。
隣の青年に謝る。息を吸って吐く。そうだ、必死になることなんてない。感傷に浸る理由なんてどこにもないんだから。
「……ちが、違うことなんて、ないですよ」
「……はあ?」
「お、おじさんと、マカさんは、いいパートナーだったと、おも、思うんですよ、だってマカさんは、おじさんのこと、ちゃ、ちゃんと思い出してるじゃ、ないですか、それって、凄いと、思うんですよ」
「ちょ、ちょっと、君大丈夫?」
今度はこちらが驚く番だった。若いソウルは、猫背の背中を丸めて、ずるずると泣いていた。あいつが見せなかった泣き顔だ。
青年は肩を震わせて、盛大に鼻をすすった。持参してるハンカチで顔を覆う。泣きやすい性格らしい。
「俺、名前が同じだから、時々ここ来るんですけど、他の人なんて会わないんですよ、誰も、おじ、おじさんのことなんて覚えてないんじゃないのかって、関わりたくないのかなって、そう思うと悲しくて、でも、今日、マカさんが来たの見て、俺びっくりして、話聞いて、そんな関係もあるんだなあって、思って」
「シビアって表現したのは君の方じゃないの……」
「そうですけど、でも、やっぱり、それでも、いい関係だなあって、思って、俺はおじさんのことよく知りませんけど、マカさんがいたなら、その、武器と職人っていうのも、楽しかったんだろうなって、思って、だから、違うことなんて、ないです、ほんと、そう思います」
また大きく息をする。私は何故だかいじめっこのような気持ちになってしまったので、彼の背中をさすりながら苦笑いが出てしまう。私が泣く前に、ここまで思いっ切り泣かれては、あとから泣くなんて情けなくてできない。笑うしかないよ。
ソウルのために泣いてくれたソウルは、ふううっと犬のように身を震わせて、ようやく嗚咽を収めてくれた。
「すいません、俺、えっと、僕、どうも泣きやすいみたいで」
「いえいえ。珍しいもの見た気分だわ」
「す、すいません」
本当に謝ることなんてないのよ、まるであいつが泣いてるみたいで、楽しいんだから。
そうは言わないけど、私は妙にすっきりした気分だった。そうだ、あいつも泣けばよかったのに。私も泣けばよかったんだ。馬鹿みたいにこどもっぽいけど、これくらい簡単に言いたいことが伝わって、深く考えることが馬鹿馬鹿しいと思える方法なんか、他にないんだから。
泣いていた?あいつは最後に泣いていたかな。それとも笑っていただろうか。じゃあ私の選択を教えてあげよう。若いソウルの背中を叩いて、私は叫んだ。青年はぎょっとして前にかがみ込む。
「泣くより笑え!」
2009:02:21