目覚ましが鳴る前に起きたなんて久しぶりの経験だった。俺は思わず天気を確認する。槍も豚も降ってない。雲ひとつない快晴ってやつだった。俺は何故か落胆する。ということは、昨日のマカの言動はこれからもよくあること、ってことになるんだろう。面倒だなあ。
俺が朝っぱらからのろのろ起き出してきたことが珍しいのか、洗面所から出てきたマカは時計と俺とを交互に見た。実に失礼である。
「おはよ。何、今日何かあったっけ?」
「何もねえよ。授業中に寝るし」
「い、意味ないな」
マカはぐ、と顔を歪めて横を通りすぎていった。気持ち悪いほど普段通りだ。昨日ごたごたともめたことも、なかったことにしているんだろう。俺だけ蒸し返すのも根に持っているようで格好悪いので、いちいち普段通りと表現するのもなしにしようと思う。
前髪があらぬ方向にはねてどうしようもない。のでとりあえず諦めて、手で押さえ付けつつリビングに向かう。マカはまた食事を作っていた。内容は予想が付く。昨日の夕飯の残りである。
「お前さあ……二食連続でこれかよ」
「古いパンがあったんだもん。それにさー、学校のこと考えると頭痛いし」
「何で」
まさかマカともあろうものが、昨日を引きずっているとでもいうのか。マカは肘を突きつつ、手に顎を乗せた。
「人前で怒鳴っちゃうなんて……ほんとに格好悪いし情けないし恥ずかしい。どんな顔してればいいんだろ。あーもー!昨日の自分駄目だった!なかったことにしたい!」
「別に……あれだろ、あだ名が『魔王』になるだけだろ」
「何よそれ!」
「それか『大魔人』」
「どんな人間だよ!」
いや、だから、お前は元々人間じゃないんだって。この名前でようやく人間に近付けたようなものなんだ。そこんとこ分かってもらわないとな。
とは勿論言えず、俺は終始真顔であだ名を提案し続けた。そういえば、ブレアの姿が見えない。まだ帰っていないらしい。















ところで、世界の反転に時間はそれほどかからないと思う。少なくとも俺の場合は、あの課外授業の夜、マカから言われた言葉、あの一瞬だけで十分揺らされた。下が底なしになって飲み込まれて、上下が分からなくなる感じ。自分は人間じゃないと言われた、まあ実際は言われたように感じた、それだけで全身に何か、よくないものが這いずり回ったのだ。それって世界が反転する、端的に言えば意味が分からない状態になるには十分足りていると思う。
加えて言うなら、反転にそれほど時間がかかってはいけないのだ。迅速に、間を開けずに、躊躇わずに実行しなくてはいけない。躊躇っていると命取りになる。変化の放り出しは死だ。ぐちゃぐちゃになってしまう。そんなの、武器の俺にだって分かる。職人が分からないはずはない。実行できてこその職人だ。
だから、俺がしなければいけないことは、職人に対する覚悟だけだった。















人の噂も何とやらというが、実際は二十四時間ももたなかった。俺達が登校しても、ひそひそ囁かれることもないし、昨日みたいに直接問いつめられることもない。これも普段の行いがいいからだろう。主にマカの。まあ昨日の魔王事件について俺が関わっている部分なんて少ないから、当たり前と言っちゃあそうなんだろうが。
この切り替えの早さ、興味対象の急速な終息。死武専というのはそこに特徴があるんだと思う。自分の利益に繋がるものを貪欲に吸収し、それ以外のものは排除する。でなきゃ魂の回収なんて仕事、こどもにやらせるはずがない。俺達がどう思っていようが、この小さな社会は回っていく。
いつもの課外授業受付で、マカは上の方を睨んでいた。見えにくいのか目を細めている。
「何見てんの?」
「あれ、一杯取れるやつ」
マカが指したのは三人組の殺し屋がどうのという知らせである。毎回思うが、このゲーム感覚の通知はどうにも頂けない。馬鹿にされているのかと思う。
背の低い職人はジャンプして紙をむしり取ると、熱心に読み始めた。後ろから覗くと、参加条件はそれほど厳しいものではない。先日集めた魂が一気になくなった俺達にとっては、目下のところ優先事項は数だった。これについては俺とマカで話し合いが済んでいる。数を稼げそうなものならできる限り受ける。俺達に達成できそうな課題である限り。
「………………」
マカは千切った知らせを難しい顔をして睨んでいる。大して難しいだろうとも思えないのだが、一体何を考えているのやら。元々分からないけど、大魔王になったから少しは理解しやすいだろうと楽観視していたのに、それでもまだ人間の域ではないのか。お前はどこにいるんだよ。
「……じゃあこれでいい?」
「どうぞ。文句はねえ」
「あっそ。……じゃ、出してこよ」
瞬間。
予感がした。
何と言ったらいいんだろう、こういう感覚のことを、とにかく嫌で嫌でたまらないのに、体が全く動いてくれなくて、顔はひきつった笑みを浮かべるしかない。こんな経験は初めてだった。どうだろう、名前を付けるなら、『完璧なトラブル』だろうか?歩けば落下する吊り橋の上を、飛び跳ねながら進めと言われている感じ。しかしその先に家があって、トラブルの回避は不可能という、そんなシチュエーション。
俺は電撃に撃たれたみたいに、掲示板の前で突っ立って、マカが書類を提出しているのを見るしかなかった。ああ、あの課外授業、予感がする、圧倒的な絶望の予感が、俺は近い将来、具体的に言えばあの課外授業で、死ぬほど面倒な厄介事に、避けることも後回しにすることも叶わず、真っ正面から遭遇する。
帰ってきたマカは固まっている俺の表情を見ていぶかしげな顔をする。
「どした?ぎっくり腰にでもなったの」
「……何その比喩」
俺はにやにや笑いながら返事をしてやる。マカは別にと言い捨てて、てくてくと教室へ歩いていった。後ろは振り返らない、が、最高についていきたくない。とにかくサボりたい。究極的には、マカとパートナーを解消したい。
俺は首を振る。いけない、物事の見方がクソみたいになってる。大人になれ、クールでスマートな武器になれ、あんな職人もいる、こんな予感もある、全部を笑ってやり過ごしてしまえ、それがお前の義務なんだ、ソウル。
ああ、ああ、知ってるよ。だから嫌なんだ。吐き気がするくらい面倒で、大っ嫌いなんだ。















結局のところ、その嫌な予感はバッチリ的中することになりそうだった。俺達は何の問題もなく課題授業を受理され、都合のいい時期にデスシティを追い出された。
俺はそこで初めて知ったのだが、その授業ではまたもや泊まりがあるらしかった。夜に動くから当然といえば当然なんだろうが、マカから聞かされた時にはまた呼吸が止まった。何だって?お前は正気か?俺の嫌な予感はますます強くなる。その内容を具体的に口に出してしまうとますます現実味を帯びそうで嫌なので、一時停止した俺はすぐにポーズを解いた。
俺は笑いながら言ってやりたかった。面倒だなあ、行きたくないなあ、他のにしねえ?どれもこれも職人が怒り出すか失望するかというような台詞。それでも言いたい俺の本心。ああ、口をつぐんでやるさ。俺が感じている、いや、もう確実に起こるだろう決定事項。職人様が分かっていないはずがない。その上で俺に何も言わない、指摘も注意もしないということは、この困難はマカが望んで起こすことなのだ。マカの希望にどうやって逆らうことができようか。あいつはやろうと思ったら絶対にやる。何であろうと実現させる。そこに俺が口を挟む余地なんて、一切、これっぽっちも、笑えるくらい、存在しないのだ。
ほら、その証拠にどうだい、今回だって、マカはいとも簡単に課題を終わらせてみせた。三人組が何だ、寝る時まで一緒のはずがない。必ず奴らは役割を分担させる。待ち伏せる役、誘い込む役、殺す係。マカはまず殺す係をやっつけた。悲鳴も上げさせないスーパークールな瞬間劇。こいつは鎌でひとり目の腹をぶった切ったそのスピードのまま、誘い込むはずだった奴の元へ走り、足下からすくった。第二撃で、二人目も魂を露出させる。マカはいちいち俺に魂を食わせたりはしない。ぽかんと呆けている三人目を、まるで逆に待ち伏せていたように襲った。この間、一分だ。
マカはまるで魔人のようだった。いや、完全に人間外の存在だった。今までの課外授業がお遊びだったんじゃないかと思えるくらい、今日のマカは本気だった。俺を解放し、さっさと魂を食って、宿に戻ろうと提案する。さっさとも何も、あまりに早すぎて俺はまるで疲れを感じていない。マカは息を切らして、額の汗を拭った。
「帰りたい」
言い聞かせるように呟く。俺はポケットに手を突っ込んだまま、無言で頷く。マカの声を聞く度、俺の心臓がきりきりと痛み、胃はおかしな動きを繰り返す。一体どうなっている。笑ってしまう。笑い事にしたい。マカはこんなにも、今日起こるであろう困難(決して今し方解決した授業のことじゃない)を待ち望んでいる。俺は嫌悪している。帰りたい?俺だって帰りたいさ。ただしそれはこの街の宿じゃない。デスシティーにある安全なアパートに帰りたい。
ただでさえ何の味もしない魂が、今日は喉にこびりつくような気がした。唾液で無理矢理飲み下す。うまくない。吐きそうだ。
宿に向かう途中、俺とマカは会話をしなかった。おかしいな、いざこざは解決したはずで、険悪な雰囲気なんてまるでないはずなのに。まあ、あの時の溝が何だというくらいに、今の俺達は立っている地面が決定的に違っていた。間が欠落している階段を想像できるだろうか?
「……あー、今回ので、何個目だっけ、魂」
「十個」
「まだまだだな」
「そうだね」
「いつまでかかるかね」
「さあ、分かんない」
勿論、今回の宿では部屋はしっかり別になっていた。ご丁寧なことに階まで違っている。マカは三階、俺は四階の端。素晴らしいことだ。戻ってすぐに鍵をかける。狭い部屋を背中にして、扉に額を当てた。嫌な予感が収まらない。だから動けない。そうだ、今夜、俺は、ここを、絶対に離れてはいけない。面倒を避ける方法はそれしか存在しない。
深く息を吸い込む。呼吸って、吐いてる時と吸ってる時、どっちが油断しているんだっけ。俺はどうしてこんなに怯えているんだろう。何が怖いんだ?厄介事か、それとも、



コンコンコン。



矢継ぎ早にノック音がする。大して大きい音じゃない、軽い、確認程度のノック。が、今の俺には、まるでこの世の終わりから死神が大鎌を振るいにやってきたように感じられた。笑ってしまう。俺だって鎌だ。死神がこんな場所にいるわけもない。馬鹿なデスサイズと一緒に茶でも飲んでいるだろう。
俺は反応しない。扉の向こうにいる相手は、落ち着き払った声を出す。
「……ねえ、ソウル、話があるの。開けて」
開けたくないよ、開けたくないよ、開けたくないよ!















「私、分かったんだよ。何もないから説明に困る。あの時も、カメラ仕掛けるとかそんなこと言ってたじゃない。でもそんな大したものなんて持ってないし、持ってくる気もなかった。森がないなら森を作れってんでさ、ねえ、分かるでしょ?何もないからいけないのよ。その何もないをやめにしよう。何かあることにしよう。……何か、しよう」
入ってくるなり、マカは扉のノブを後ろ手に持ち、俺に口を挟ませずに言い切った。今日のマカは呼吸法がおかしい。俺に合わせている。俺が吐き終わった瞬間に息を吸うから、会話が全く成り立たないのだ。最初っから、こっちの意見なんてまるで聞く気がない。
俺は職人から距離を置いた。正直、話だって聞きたくなかった。耳を塞ぎたい、窓を蹴破って逃げ出したい、だけど、体が凍って動かない。職人はコートだけを脱いだ格好で、退屈そうに顎を持ち上げていた。
これ、ああ、これだ、嫌な予感っていうのは、これに間違いがない。避けられないのか?俺が何言っているんだと笑いながらマカを追い返せばそれで済む話じゃないのか?いや、違う、そうだ、だって、そんなことは不可能だ。あいつは魔王だ、人間じゃない、職人で、近寄ったら、殺されてしまう!
「っ、くぁっ、うぅあ、ひぅ」
俺は喉が掠れてしまって、手先を震えさせながら、妙な声が出るに任せるしかない。マカは俺を睨んでいる。ゆっくり、一歩ずつ、こちらに歩いてくる。
さて、普通の考え方をしてみようか?
マカが職人などではなく、俺も武器じゃなくて、お互いただの人間で、例えば俺がマカのことを好きで、マカが俺のことを好きで、課外授業で、何故か宿が同じで、マカが俺の部屋に来て、顔でも赤らめて「何かしよう」なんて、言ってきたんだったら。
そんなに簡単で楽な状況だったらどんなにいいことだろう。どんなに気が安らぐことだろう。でも、違う。絶望的に違う。俺は武器で、あっちは職人。マカがしようとしていることは、この関係をぶっ壊すこと。根底から破壊して、元に戻らなくすること。武器だけを壊すんじゃない。職人も否定する。魂を、否定する。
俺は首を振った。否定される前に、この状況は異常なのだと、相手を否定しなくてはいけない。でなければ存在できなくなってしまう。俺という武器が消えてしまう。
「っあ、うあ、や、めろって、馬鹿かお前、何考えてんのか、ひとっつも、分かんねえ」
「ビビってんなクソ鎌」
マカは低い声で、俺の精一杯の反論を切り捨てた。ずいっ、ずいっと、こちらに早歩きでやってくる。腕を伸ばせば触れるくらい、いや、もっと近い、体を揺らせば当たるくらいの、距離だ。
「説明が欲しいなら片っ端からしようか?もっと分かりやすく言おうか?あんたは私に、はっきり言って欲しいわけ?」









××××しようよ、今すぐ、この部屋で、あんたと、私で。









世界が反転して、俺の中身がぶっ壊れる。逆流する。聞こえてくるのは、ずっと昔に聞いた歌詞。現実味のない、馬鹿げた言葉。









魔王が来るよ。



魔王が来るよ。



お前を拐いに、魔王が来るよ。



お前を壊しに、魔王が来るよ。









「う、うわああああああッッッ!!!!」
叫んだ。ここがどことか、目の前にいるのが誰とか、今が何時なのかとか、そういう状況は全て頭から飛んでいた。とにかく、部屋の中にいる俺以外の存在、それが怖くて、まるで追い返すみたいに、俺は長い悲鳴を上げていた。



ざくんっ、ざくんっ、ざくざくざくっ!!



俺の悲鳴と一緒に、何故か背中から、赤黒い鎌の刃が大量に生えてくる。中身が壊れたからあふれ出したんだろう。他人事のように悲鳴を聞きながら、俺はぼんやりそう想像した。
職人は不愉快そうに一歩後退した。
「、うるさいっての」
何か喋っているその声さえ、自分の悲鳴に紛れてよく聞こえない。後ろから突き出た刃が戻らない。気を抜くと、両手両足まで鎌へと変化しそうだった。そうなったらもう立っていられない。
「〇〇〇〇、〇〇〇。〇〇〇〇〇〇〇?〇〇〇〇〇」
まるで暗号文のようにマカが呟く。聞き取れないし聞きたくない。俺は首を振る。
今まで氷のようだった職人の顔に、一瞬で赤みが差した。目が見開かれる。大きく前へ踏み出し、左手を思いっ切りしならせて俺の頬を打った。ぱんっ、と高い音が鳴り、足下がよろける。ふらついた俺の手を掴み、狭い部屋の中で、奥にあるベッドに倒し込んだ。
スプリングごと何箇所も串刺しにするんじゃないかと思ったが、背中から生えていた刃ははたかれた瞬間に引っ込んでいた。俺は喉がかすれて、もう叫ぶこともできない。怖くて怖くて怖くてたまらない。
マカは俺の腹の上に乗って動きを制限している。手も足も解放されているけど、今の俺なら例えマカがこの部屋にいなくても、動くことなんて不可能だっただろう。マカは右手を俺の額に置く。やけにぬめった感覚があって、錆びた鉄の嫌なにおいがした。血が出ている。俺の鎌で切ったのだろう。まるで額になすり付けられている気がした。
マカは熱を確かめる母親のように、俺の前髪をいじり、顔を近付けた。両手で頬を包み込む。鏡で見たらさぞグロテスクだろう。俺の顔は血まみれだった。
「……私が男で、あんたが女だったらよかったのに」
「………………」
「そうしたらこんな面倒なことはしない。なのに、何で、逆なのよ」
「……っ、ぐぁ、ふぁう、お、れは、お前が」
俺の言葉を遮るように、マカの手が口を塞ぐ。冷たい声が降りてくる。
「舐めて」
拒否できない。呼吸が塞がれる。俺はマカの手の平に舌を這わせる。真ん中に切り傷がある。血の味がする。唾液と一緒に飲み込んだ。目の端が熱くなる。吐きそうだ。
マカの手は舐め取られる度に震えている。痛いのだろうか、気持ち悪いのか。傷口が散々に舐められて、血が止まる。マカは手をずらして指を含ませる。二本ずつ中に入れられた。咳き込みながら、付着した血を舐める。
あらかた舐め終わると、マカは手を離した。だらんと力なくぶら下げる。腹の上からはどかない。俺の首元に手をやると、上着のボタンを外していく。俺は無抵抗のままだが、妙に体が震えた。
「……やれるものならやりなさいよ」
マカは静かに呟く。手は止めない。上着をはだけると、中のシャツに触る。傷が開いたのか、また血が出ていた。俺が出したんじゃない血が、俺の服を汚している。
「その手を鎌にしてさあ、さっきみたいに、ざっくざく出して、私を串刺しにしたらどうなのよッ!!」
どくどくと心臓が鳴っている。体はぴくりとも動かないが、そんなことは鎌になることに何の問題にもならない。ああ、いいよ、お前が望むことなら俺は大抵叶えてきてやったよ、今回も言うことを聞いてやろうじゃないか!
じわりと染みていく手の平の血。俺が変化した鎌から伝わる血が、まるで部屋全体を汚していく、はずだったのに。
「………………」
「………………」
俺の体は、どこも変化しなかった。溢れるように勢いよく、職人の体を垂直に切り裂くはずなのに、指先ひとつ変わらない。マカは呻く。
「……何よ、何よなになに何なの、あんたそんな簡単なこともできないの、魔女狩りをするって言ってんじゃないのよ、腕を鎌にして私を切ればいいじゃないってそれを言ってるのに、そんなに簡単なことですらソウルはできないの、どうして抵抗しないの、拒否しないのっ、だから、だから、だからだからだから!あんたなんか嫌いなのよッ!!大っ嫌い!!」
マカは右手をぐっと握り締める。震えた手からぼたぼたと血が落ちる。何だか泣きそうな顔だった。俺だって、こっちだって、その何倍泣きたいか分かってるのかよ。
職人さん、ねえ、あんた、今頃分かったのかい?お前が俺のことをどう思ってんのか、ようやく自覚できたのかい?つまらない理屈を言い立てて、武器を職人と同じステージに立たせようとするからそうなるんだ。そんなことは無駄なんだ。謝るとかまるで意味のない行為なんだ。だって、お前は、俺のことが、嫌いなんだもん。救いようがないくらい、絶望的に完璧に、俺を嫌っているんだから。
そうか、マカは、はっきりとした説明が好きなのか。嘘は好きじゃないよな、曖昧な言い方だって、推測されるのだって好きじゃない。じゃあ俺の本心、それを言おうか。
切らない。否定しない。抵抗しない。拒否しない。どうしてだか分かるかい?お前も薄々見当が付いているだろうけど、それは俺が職人を守るためでも、使えない武器だからでもない。違うんだよ、なあ、分かるだろ?そういうんじゃないんだ。本当に嫌なんだ。触ることや、近付くこと、側に寄られることが怖いんだ。恐ろしくてたまらないんだ。はっきり言おうか?
俺は微笑んでマカの腕を握った。さっきまでが嘘みたいに、体が動く。マカは無表情に俺を見る。血のにおいに埋もれながら、俺はゆっくりと発音する。
「大丈夫、なあ、マカ、分かったから。分かるよな」
「……なにっ、が、分かったていうのよ」



「俺も、マカのことが、好きじゃないんだ。分かりやすく言うよ。嫌いだ。頼むから、近寄らないでくれよ」



マカの表情が固まる。今度は、目を離さない。前の課外授業みたいに、目を合わせないで喋っているんじゃない。本気で、嘘がない、きっと両方に。
俺の手は、それでもマカの腕から離れない。人間の腕だ。職人でも、魔王でもない。怖くない。俺だって、武器じゃない。マカは肩を震わせる。泣いているんじゃない。笑っているようだった。俺も笑う。
「……あっはっは!なに、ソウル、それ、本気で言ってんの?」
「ははっ、マカこそ、今のどこまで本気なんだよ、あとから訂正きかねえぞ?」
「そう?じゃあ、一緒に言おうか。本当か嘘か。せーのっ」



「「本気」」



完璧に重なる。さすがだ。本格的に笑い出してしまう。俺はマカから手を離し、マカも俺の上からどく。お互いにベッドの上に座る。不思議な話だ、嫌っていることを自覚した今の方が、「何か起こりうる」ように、柔らかい雰囲気で満たされている。
俺は上着をはおって、頬に触れてみる。乾いた血がぺりぺりと落ちてきた。
「ひっでえよな、ここまでするかよ」
「だってソウル、気持ち悪いくらい怖がってて、腹立ったんだもん。実際に手ぇ切っちゃうしさ」
「これもう着れないしな」
「それはごめん。でも、今の内に言っとく」
マカはぱん、と手を鳴らした。傷に響いたのか、苦い顔をする。
「さっきまでのやつ、嘘は一回もついてない。全部本気。ソウルが言わなかったら、本気で何かするつもりだった。牽制じゃないよ」
「分かってるよ。お前常に本気だもんな」
「うん。でも、前言ったことも嘘じゃない。ソウルがパートナーでよかった。これからも、パートナーでいたいよ」
俺は頷く。ちゃんと目を見る。そして左手を差し出す。右手は痛むだろうから、気を遣ったつもりだ。
「じゃあ、職人」
「うん、ありがとう。武器」
これからもよろしく。
俺は大嫌いな職人と、強く手を握る。大丈夫、大丈夫、魔王はどこかに行ってしまった。職人は人間じゃない、武器も人間じゃない。だけど、職人は俺を壊さない。武器は職人を傷付けない。砂漠の枯れない木のように、乾いた世界で、ずっと過ごしていけるだろう。





2009:01:29